|
カテゴリ:小樽
明けて9月1日は防災の日。 そして娘の誕生日である。 お誕生日おめでとう、娘。 25年前、真っ赤なガッツ石松のような顔で生まれてきた娘も25歳となった。 25年前の8月31日にわたしは前期破水し、シーツが真っ赤になったのを今でも覚えてい る。 それから、生まれるまでの14時間を一人ぼっちで病院で過ごした。 生まれたら連絡しますからと、看護士さんに言われ、夫は帰されてしまっていた。 今のように夫が出産に付き添う時代ではなかった。 わたしの母親がわたしを産んだために亡くなったこともあり、わたしは本当に恐かった。 時どき襲ってくる陣痛。 その間隔が短くなると分娩台へと移され、新人の助産婦さんの手をずっとにぎっていたので ある。 やっと生まれた娘は小さくて、真っ赤で、だけど大きな声で泣いていた。 その娘が今日25歳となった。 25年はあっという間だったけど、それは過ぎてしまえばということで、この25年はやは り長かったように思う。 アルバムには赤ちゃんだった娘が残されており、そして若かったわたしもそこにはあるので ある。 わたしは娘のことが大好きで、かわいくって、それは生まれた時からかわらず、親の気持ち は不変である。 昨今、親が子どもを虐待し、死に至らしめてしまう事件があとを絶たず、自分の子どもなの にどうしてなんだろうと不思議でならない。 夫婦となっても男と女の愛には終わりがあるが、子どもにたいしての気持ちは生涯かわりは ないはずなのに、傷つけられる子どもがいる現実をみると、殺してしまうくらいならどこかに 捨ててほしいと心から思うのである。 25歳まで、少々気は強いが実はやさしく、まっとうに生きて、よい友だちに恵まれて、何 人もの友だちからおめでとうメールを送られる娘に育ってくれたことに、心から感謝いたしま す。 娘がわたしの娘で生まれてきてくれたことは、万が一のめぐりあわせで、その偶然にも深く 感謝。 だって、こんなおもしろい女子はほかに類を見ないからね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|