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2013.07.10
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カテゴリ:時事ネタ・主張
東京電力福島第1原発事故の収束作業を現場で陣頭指揮した元所長で、東電執行役員の吉田昌郎(よしだ・まさお)氏が9日午前11時32分、食道がんのため都内の病院で死去した。
58歳。
大阪府出身。
東京工業大大学院修了後の1979年、東電に入社。
原子力の技術畑を歩み、本店の原子力設備管理部長などを経て2010年6月に第1原発所長に就任。
東日本大震災に伴う原発事故の収束作業を、主に原発敷地内の免震重要棟で指揮した。
11年11月には事故発生後の1週間を振り返り「(自分が)もう死ぬだろうと思ったことが数度あった」と話していた。
食道がんと診断され11年11月に入院、翌12月1日付で原子力・立地本部に異動した。
事故後の被ばく放射線量は約70ミリシーベルトで、食道がん発症の原因になった可能性は極めて低いとされた。

   東京電力・福島原発元所長・吉田元所長が亡くなったことで、マスコミが彼を
「日本を救った英雄」、東電本社と堂々と渡り合ったと褒め称えている。

『2008年に東京電力社内で、福島第一原子力発電所に想定を大きく超える津波が来る可能性を示す評価結果が得られた際、当時、吉田が部長を務めていた原発設備を統括する本店の立地本部原子力設備管理部が、
「そのような津波が来るはずはない」と主張して対策を講じなかった事が明らかになっており、
むしろ、この事故の原因を作った張本人ともいうべき人物である。』


同じ会社と喧嘩するなら2008年に東電本社と渡り合った欲しかった。

もし、この2008年に対策を講じていて、事故が起こらなかったとしても、「核のゴミ」はどうすることも出来ないことは、専門家なら分かっていたはずだ。
申し訳ないという気持ちが、
「(自分が)もう死ぬだろうと思ったことが数度あった」としてもやるしかないと思ったのではないか。

2年以上前の事と忘れられたようになっている福島の事故。
吉田元所長死去のニュースで、思いだし、気を引き締め、選挙にいかして欲しい。

緑茶会が応援する「脱原発立候補者」の一覧
 ●真の文明は、山を荒らさず川を荒らさず。
村を破らず人を殺さざるべし
(田中正造さんのことば)
未来をひらく言葉

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昔◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★2013年7月10日*ハゲショウと半生夏餅(はげしょうもち) *
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Last updated  2013.07.11 18:56:19
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天地 はるな@ Re[1]:大河ドラマ「光る君へ」と百人一首(03/04) maki5417さんへ 「源氏物語の女君」私も…

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