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私訳・源氏物語

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May 8, 2006
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カテゴリ:キリスト教関係
 「神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れてこられた。人が生き物につける名は、みな、その名となった。」創世記2:19

 私は、神さまが人間の傍にいてくださって、それぞれの動物にどんな名前をつけるのか目を細め、にこやかな表情で、楽しみながらみていらしたように想像します。幼いこどもが大人の思いもつかないユニークで楽しい表現をすることがありますが、神さまもそんな楽しさを味わっていらしたのではないかと、そんなふうに私は感じています。

 しかし残念ながら、日本のクリスチャンのフォーラムや掲示板では、人間の罪をことさらに強調し、自主性や自我をむしろ嫌悪していることが多く、そこが私には、どうしても馴染めないところでもあります。

 一見やさしく寛容でいい人ばかりのようでいながら、一旦異論を唱える人が現れると、その言わんとする本質を捉えようとする前に、たくさんのニワトリが一匹のミミズを突付き回すようなヒステリックな状態になって、「議論」にならない場を何度もみてきました。

 傷つくことを極端に恐れ、クリスチャン同士がお互いの悪をかばいあい、長老といわれる人までもが「諌め」や「諭し」を忘れ、「裁くな」という聖句をもってその場しのぎの「和」だけを守るために必死になるところはあまりに世俗的に見えましたし、無責任で口当たりのいい慰めのことばや、安易な共感を示すことが「寛大で理想的なクリスチャン」と思い込んでいるところなど、私にはただただ違和感を覚えるだけでした。

 そこには「ことばの花かご」のようなものがあって、舌触りのいい色とりどりなことばをいっぱい集めておき、それを文章の上にぱらぱらと振り撒いているように、私には感じられるのです。
 おいしそうには見えるのですが、しかしそれは「ふりかけ」のようなものであって滋養が乏しく、そのため生きる上での「心の力」になっていかないように私は思っています。





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最終更新日  March 8, 2017 07:18:51 PM
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