小説入門と南国スケッチ紀行
長い間、一度、小説を書いてみたいと思っていた。そして井上光晴の「小説入門」を読んだ彼は、全国、数ヶ所に「文学伝習所」なるものを設け小説を指導。さまざまな職業の人々に、たとえば「血」とか「市場」とか言うモチーフで、50枚の小説の書き出しを書けと課題を出し、その作品を討議し添削した。夜は酒場で文学を語りあうと言うユニークなかたちで小説を教えていた。炭鉱の鉱夫などが書いた作品が、とても生々しくどれも素晴らしかった。小説は,深い実体験に裏打ちされることが必要と痛感した。まず、私の脳の中身が小説を書くに値するかを吟味せざるをえない。さて小説の名文として心に残っている文章がふたつある。ひとつは、三浦哲郎が芥川賞をとった「忍ぶ川」の名文。恋人志乃を生まれ故郷の北国へ連れて帰り、家族に紹介したあと、初夜を迎えるときの妖しく美しいたった一行。「志乃は精巧にできた人形で、私は拙い人形使いだった。」どんな長い表現より、この一行の方が、より多くのことを物語っている。最近の若い人も、うまい描写をすると感心したのが石田衣良の「娼年」。この夏、この小説を読みながら竹芝桟橋から南の海へ絵を描きにいった。今回の式根島には、深夜出発して、明け方、島に到着する。出航直後、お台場の夜景が美しかった。さて、川端康成が越後湯沢で書いたと言う名文は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」今回の式根島の旅を、それに習って表現すると「甲板で長い夜をあかすと、そこは南国であった。海の底が深く透明だった。桟橋に船が止まった。」 昼は海辺で「 Mid blue」という若者グループとバーベキューし、夜は、みんなで海辺の広大な露天風呂や花火を楽しんだ。夏の海の楽しい思い出を裸婦で表現すると、こんな絵になった。たくさんの深く碧い入り江があり、透明な碧い海を描いた。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。