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  新 つれづれ日記     

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2009年04月30日
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カテゴリ:
「母の夢は果てなく明日に」その5 
     1981年 母の友(福音館) 3月号掲載


   父の出征 戦死



戦局が悪くなると、父にも赤紙が来た、出征。それっきりだった。
「戦争はいやだねえ」と言い残し妻や子どもたちが駅に贈りに行くのを拒んだという。
初めから戦争には批判的だった父。
父は子ども一人ひとりを抱き上げ、頬刷りし戦地にむかったという。

戦後「お父さんは靖国神社なんかに決して帰っていらしてないよ」と母はいつも言っていた。
北満でロシア兵に囲まれて戦死したという父の骨はいまだに、私たちの許に帰っていない。
戦死当時、母は34歳、子どもは6歳、4歳、3歳だった。
4歳の私には父の記憶は何一つない。

敗戦の前年、母は3人の子を連れて満州から引き揚げる。
それは出征する時の父の薦めであった。
母は父の故郷、熊本県人吉市で子どもたちを育てていくことを決心する。

   

haha

 つづく





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最終更新日  2009年05月01日 10時53分51秒
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