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カテゴリ:母
「母の夢は果てなく明日に」その5
1981年 母の友(福音館) 3月号掲載 父の出征 戦死 戦局が悪くなると、父にも赤紙が来た、出征。それっきりだった。 「戦争はいやだねえ」と言い残し妻や子どもたちが駅に贈りに行くのを拒んだという。 初めから戦争には批判的だった父。 父は子ども一人ひとりを抱き上げ、頬刷りし戦地にむかったという。 戦後「お父さんは靖国神社なんかに決して帰っていらしてないよ」と母はいつも言っていた。 北満でロシア兵に囲まれて戦死したという父の骨はいまだに、私たちの許に帰っていない。 戦死当時、母は34歳、子どもは6歳、4歳、3歳だった。 4歳の私には父の記憶は何一つない。 敗戦の前年、母は3人の子を連れて満州から引き揚げる。 それは出征する時の父の薦めであった。 母は父の故郷、熊本県人吉市で子どもたちを育てていくことを決心する。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月01日 10時53分51秒
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