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  新 つれづれ日記     

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2009年06月01日
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カテゴリ:
母の夢は果てなく明日にその10

自立を教えてくれた母


私は兄弟はいるが、一人娘である。母娘二人の生活の後、私の結婚が決まった時「20数年暮らした親よりKさんのほうがようのかえ」と泣いた。すまないと思いながらも、九州に母を残し東京で)所帯をもった。  

若い頃の夫の給料は安く、両方の母親から小包みがよく届いて、私たちの生活をうるおしてくれた。3年目の夏、2歳の長女と私の二人だけで20日ばかりの里帰りをした。夫のボーナスの大半を使う決心のいる里帰りだった。

でもとにかく、一人で暮らす母を喜ばせたい。2歳の娘は母にとって初孫である。「おばあちゃん」というのは、とにかく孫さえ見ればメロメロになる。わたしの心に母に喜びを与えに里帰りしてやるのだという高慢さがあったことはいなめない。

実家に帰ると、嫁さんはいないし気楽で娘時代に帰ったようだった。母一人の気安さで家中を物色し東京に持って帰れそうなものを選んでは帰りの荷に詰め込んだ。

帰る日も近づいたのだが、私は帰省片道切符で来ていて、帰りの切符は買っていなかった。孫の顔を見た母が「ご苦労さん」と帰り切符を買ってくれるであろうと思っていた。

母は言った、「甘えるのもいいかげんにしなさい。結婚したからにはけじめをつけなさい。里帰りするなら往復の切符を買ってくるものです。
ちゃんとした手土産を持って、みぐるしくないちゃんとした洋服を着て。もうここはあんたの家ではないのよ。」と

私はショックだった。頭から水をかけられる思いだった。
わたしの結婚の時に泣いた母だったが、明治生まれの母は人間としての「けじめ」をさとしたのだ。

私は夫までを注意された気がして、発奮し、帰京一番にお金を下ろし、速達で切符代を返した。

母は驚いたようであった。「道子は意地ものだ。」と苦笑したに違いない。そのことが私の本当の母からの自立だった。あのことがなかったら真の意味での結婚生活もなかった気がする。
気丈だった母ももう73歳になった。  (1970年記)

kisei

母65歳、私の次男1歳。 
何回目かの里帰り もちろん往復切符を買っての・・・・・





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最終更新日  2009年06月07日 12時13分15秒
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