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2013年03月13日
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カテゴリ:投稿・掲載文
2010年 9月 東京新聞「ひろば」掲載

「一言謝罪が欲しかった」


東京新聞8月29日付「ひろば」の「勇気ある発言」読んで

昭和天皇の葬儀はみぞれの降る寒い寒い日だった。
葬儀の模様をテレビ中継で見ながら

「ああ天皇はとうとう逝ってしまわれたか。ご苦労の多い人生でした。
 でも、最後まで戦争への謝罪はなかったね。」と同じ思いの夫と顔を見合わせた。
私個人としては やっぱりその言葉が欲しかった。

私と夫は戦争遺児で父の顔を知らず、父のない人生だった。夫のいない母たちの人生を
哀れに愛しく思う。それは戦争になれば仕方ないとしても

やはり、日本国の長として開戦の決断し、国民を戦争へ向かって突進させたことへの謝罪がほしかった

軍の暴走、日本を取り巻く世界事情、国民の気質、その他さまざまの要因があったとしても、
天皇はその時の国の長だったのだから。
約300万人のもの死者を出し、原爆を落とされ、日本及びアジアの国々も焦土と化した。


戦後、天皇は「人間宣言」をされ、日本全国を長い年月かけてを見舞い励まされた。
しかし、「頑張ってください」の言葉だけで「すまなかった」の雰囲気はなかったように思う。

ともかく天皇は国の長として、白馬にまたがり国民を奮い立たせ、国民は「天皇の為に天皇の為に」を口に「天皇万歳」を叫んで戦い死んでいったのだから。

天皇自身に謝罪したいというお気持ちがあったのか、なかったのかは一般国民にはわからない。
とりまき陣の意志だったのかもしれない。

 生まれながらに「朕」の世界に御育ちになり、天皇家の存続が何よりも大切な天皇であれば、一般の人間社会のルールとか普通の感情は通じないのかもかもしれない。

また私のような意見に「なんと不遜な!「陳謝」などもってのほか」とう考えのひとも
も多いとは思う。

しかし、戦犯と言われた方々の無念も理解できる。


日本が民主主義の国になり、国民が主人公になって65年、皇室の在り方についても、国民が物言える国になって行くことを願う。踏み込めぬ領域を作ってはならぬと自戒を込めて思う。


(当時の掲載文に加筆しています)

 

ーーーーーー 

 
8月29日広場掲載「勇気ある発言」の内容

ある元BC級戦犯が「昭和天皇に謝罪してほしかった」と述べたことは、
勇気ある発言だと思う」という趣旨

ーーーーーーー
<b> 追

私のこんな記事でも「勇気ある発言」になるのかな。言ってはならないことなのかな。批判文がくるかな。

現、現天皇ご夫妻の健気ともいえる 長年の戦場慰霊の旅には頭が下がる。
昭和天皇の悲痛な懺悔の思いを暗黙に理解し、 引き継がれ、父上のかわりに実行なさっているように私には思える。

それにしても、あのご高齢で公務を全うされる天皇ご夫妻を痛々しくさえ思う。
昔の天皇は若い引退もあったし、女帝時代もあったのに、いつからこんな制度になったのだろう。これらも国民みんなで 考えていくいくべきではないだろうか。

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最終更新日  2013年04月03日 16時53分35秒
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