274885 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

  新 つれづれ日記     

  新 つれづれ日記     

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019年07月21日
XML
カテゴリ:ロシア・マガダン
​​
マガダン(ネット・ウイキぺディア)


​​​
      ​ハバロフスクの街​​
子供のころ「ハバロスク・ららら ハバロスク」という流行歌を歌った記憶がある、あの「ハバロフスク」に行ってきました。
ハバロフスクは新潟から飛行機でたったの一時間半ですから、日本から一番近いヨーロッパ風の街といわれています。
新潟とは妹都市になっています。ロシア極東の中心都市で1649年にこの地を征したエロフェイ・ハバロフにちなんで、ハバロフスクと命名されました。


マガダン大学の卒業生ナターシャが 街を案内してくれました。
とても美人さんでした。

1918年シベリア出兵時には日本軍司令部がおかれた地であり、その後満州進出の日本軍の重要拠点でもありました。日本とは縁の深い街です。またウラジオストックが開放される前はシベリア鉄道の始発.終着駅でもありました

 





 ソ連時代に禁止された宗教も開放され、いたるところでロシア正教教会は修復、改築されています。これは街中央にある教会。この屋根の色はなんともいえない美しさでした


薄着をして待ち行くブロンドの娘たち

お上りの娘さん

アムール川の岸辺に下りる階段、実に美しい空間です。



私のパソコン画  アムール川


中学の頃「アムール河のさざ波」という合唱曲を 歌ったことがあり、とうとう流れる大きな川を眺め 感慨無量でした。
川辺で二人で「アムール河のさざ波」を声をを出して歌ってきました。

ただ現在 中國から 産業廃物の汚染が川に交じり、ハバロウスクの人々は今は河で泳げないと、怒っていました。

 街中はヨーロッパ風の建物が多く、人々でにぎわっていました。中華レストラン、おしゃれな店もあり、半年振りに窓辺の席で、道行く人を見ながら 久しぶりにコーヒー店でコーヒーを飲んだ時は感激しました。
                    






博物館、民族資料館、地質博物館など文化施設           博物館見学に来た子供たちが実に可愛かった。
               





街を走る日本の中古車たち、彼らは日本の現役退職後もけなげに外国で頑張っています。車のロゴも日本語がそのままで使われていました。
退職後も健気に頑張るのはまるで私達夫婦みたいです。


シベリアトラは写真だけ          

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
道子とKのギャラリー




 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019年07月21日 21時08分57秒
コメント(0) | コメントを書く
[ロシア・マガダン] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.