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  新 つれづれ日記     

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2019年10月15日
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カテゴリ:北京の風
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胡同その1  
私達が初めて生活した1998年頃の 北京にはあちこちに胡同が残っていました。
昔のようにお金持ちが胡同一棟を 一族で住むことは 革命以来 なくなり、5家族ぐらいが 部屋を分け合って住んでいました。
それはそれで懐かしい 庶民の生活があったのですが、北京オリンピックを境に、区画整理が始まり、胡同は ほとんど壊され、新しい住宅が建っていきました。
この記事は、私達が北京に住んだ頃、観光ツアーで見学した壊される前の 貴重な胡同の姿です。

 胡同の語源はモンゴル語の井戸だという。             「大都」と名づけモンゴル人が住むようになって井戸を中心に住居をかまえた。それで井戸が横丁の意味になったという。               「王府井」や「三眼井」「甜水井」「苦水井」など井戸にちなんだ地名も多い。「大都」を囲む城壁が完成して、住民が金の旧城から移り住んだのは              元代の1285年ということだから、胡同は700年の歴史があることになる。


この胡同の門は (木製の花型 2個)

この花飾りの数は家の格を表している。この数によっ相応の縁談が
すすめられたとか。
大きい集落のことをモンゴル語で「ホト」ともいい、これが「胡同」になったという説もある。ハルピン、吉林、天津などにも「胡同」という地名が少なくない。                                              ​(竹内実著 北京より  参照)​



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この門の花は4個
ここは現在何所帯も一緒に住んでいるようだ。

ここは 花ふたつ。
元時代 は 官吏 も多く住んでいたそうで
門の両側の石  〇型は武官の家

四角型は文官の家
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庶民が住む  胡同






胡同に住むおじさん


おじさんの部屋





大勢の観光客が 3輪車人力で駆けつけていた。
胡同に住む人たちが 部屋を開放したり 説明したりすると、観光会社からお金がもらえる制度があるようでした。ツアーに「胡同で住民手作り餃子を食べるツワー」なんてのもありました。




冬の野菜を保存している。白菜は漬物になったようだ。



北京の暖房は 練炭  これが大気汚染につながっていました。
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一歩出ると 賑やかな観光地  おしゃれな喫茶店もあります。






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最終更新日  2020年09月02日 21時17分40秒
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