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オランダ ネーデルラントより

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2004年10月18日
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週末にベルギーのAntwerpenのそばまでいった。
日本語では、アントワープ。
フランス語では、Anvers。
ベルギーは、オランダ語とフランス語の二つが公用語。
このAntwerpenはオランダ語圏の州。
オランダ語が通用するので、ホッとする。

この名前には、由来がある。
ローマ兵士が、スヘルデ川で重税を課していた巨人アンティゴンの手を切り落として、川に投げ、退治したという伝説がある。
Antをwerpen(投げる)したので、Antwerpen。

Antwerpenといっても、ピンとこない方は、
「フランダースの犬(A Dog of Flanders)」の舞台をいえば、
おわかりいただけるだろうか。

アニメ「フランダースの犬」で、ネロ少年と忠犬パトラッシュ
の涙なくしては語れない悲しい物語だ。

ちなみに、英語ではFlanders。
オランダ語では、Vlaanderen。

7年前に所用でベルギーにいったとき、ルーベンスの傑作、
ノートルダム大聖堂の「キリストの昇架・降架」と
ルーベンスの家を観にいこうと、ムリしていった。

ちょうど、ルーベンスの博物館で入場券を買おうとした時、
チケットのバイトのお兄ちゃんは、日本で勉強したという。

ロングヘアーの金髪のベルギー人のお兄ちゃん:
「日本の方ですか?」
パ「はい」
ベ「東京からですか」
パ「はい」
ベ「ネロとパトラッシュのこみちをお探しですか?」
パ「?」

なんでも、あまりにも日本の観光客にこの、「フランダースの犬」のことをきかれるので、
いい商売(?)になると思ったのか、ネロ少年とパトラッシュのこみちを作る予定だし、銅像もつくろうと予定されているとのこと。
なんでも、今もうできているらしい。

自分だって、最終回までちゃんとみたわけじゃない。
小さい頃覚えているのは、ストーリーがすすむと、
涙がこぼれてこぼれて、兄弟達・いとこ達を肩を抱き合いながら、
ワアワア泣いたのを覚えている。

それ以来、再放送があっても、誰一人見ようとしなかった。
あまりにも、つらくて正視できないからだ。
アニメをみて、大泣きするだなんて、
我が家くらいだろうと思ったけど、きっと当時みていた人は
同じ経験をしているのかな?

ウィーダという原作者は、イギリスで生まれて、20世紀初頭に、不遇な最期を迎えたらしい。
恐らく彼女も芸術家で、誰からも認められず、絶望のドン底で、
貧困のうちに、寂しく死んだのだと想像する。

Antwerpenの観光した日は快晴!
人々もとっても親切。
この「フランダースの犬」がAntwerpenの人が知らないのは、
地元の人が、あまりよく描写されていないのと、
英語なのと、ベルギー人の好むストーリーではないせいだろうか。

ところでフランドル・バロックの巨匠ルーベンス(Peter Paul Rubens 1577-1640)であるが、
彼が政治家として成功したことは意外に知られていない。
彼の住まいをみても、質素で控えめなものの、
上流階級の暮らしぶり、彼の肖像画も自信に満ち溢れている。

1598年に聖ルカ組合の一員として、21歳と早い時期に
画家としてスタート。
1600年のルネッサンス絶好調のイタリアで修行。
彼の筆からは、ベネチア派、カラバッジオ、ミケランジェロの影響がみられる。
若くしてイタリアの宮廷画家から、1609年から21年まで、スペイン領ネーデルランド統治者アルベルトとイザベラの宮廷画家となり、それから外交官へ。
とまあ、ひともうらやむ出世街道まっしぐらなのだ。
彼の画風からは、
「まぶしいばかりの栄光と成功」を感じ取るのは筆者だけではないはずだ。

「宮廷画家から外交官?」
21世紀では、考えられないことだ。
ただ、ルネッサンス期というのは、プロテスタントとカソリックの対立。諸都市国家の対立とますます、ヨーロッパの政治・外交が
フクザツ、陰惨化の時代であった。
スペイン統治下のAntwerpenで、ルーベンスは、カソリックの
巻き返しをねらった。
ラテン語できなかったり、ことばの読み書きできない庶民にも、
現在の観光客が、ルーベンスの絵をみて感動する衝撃を
与えたと思う。

それ以上かもしれない。
神の世界をみた、神の声を聞いたとまで感じたかもしれない。

「たかだか絵を観るのに、お金?」
これも、当時としては当然のことであった。
聖遺物やキリストの像やキリスト教絵画を見せてお金をとることは、立派なビジネスだったのだ。
都市国家としては、貴重な収入源であったのだ。

ルーベンスは、こういうカソリックの権威と信者数増加と
都市の経済刺激政策をかがげて、
あの絵を書いたのではないかと、邪推している。
権謀術数渦巻くルネッサンス期に、外交官として、
重用されるにはかなり政治的腕力が必要だ。

ルーベンスというオトコはかなり政治にまみれ、
たくみなマニュピレーター、マキャベリストなのだ。
今ならさしずめ、芸術家というよりも、
急成長のIT企業の社長か、野心溢れる政治家だろうか。

ルーベンスの時代は、今ベルギーと呼ばれている南部諸州が
一時はヨーロッパの列強に名を連ね、絶頂期であった時代でもある。

それなのに、「フランダースの犬」にでてくる、暗い、暗い、
「悲惨」、「絶望」はどこからくるのだろうか?
原作者が世を恨んで(?)か、Antwerpenの人によほど恨みが
あって(?)作り上げた全くのフィクションなのだろうか?

ベルギーは、1794年にフランス革命軍に併合。
1815年に再び、オランダ王国に吸収。
1830年に、Tiendaagse Veldtocht(10日戦争)でオランダから
独立を獲得。ただし、フランス語住民が、政治・経済・社会で
権力を握るようになる。

オランダ語が公用語の一つとして認められるようになったのは、
ベルギー独立から100年たった1930年のことであった。

なので、原作者ウィーダがAntwerpenを訪れた時、オランダ語圏の
フランデーレン地方の人々は、オランダ語が使えず、
フランス語の住民が栄えていた時代。
フレンデーレンの人々は、昔の繁栄がウソのように、
政治的、経済的にも、貧しさのドン底にあり、打ちひしがれていたのかもしれない。

少年ネロのように、正直に、マジメに働いても、むくわれず、
行き倒れで亡くなったかわいそうな子供の実話が
たくさんあったかもしれない。

誰からも才能を認められず、才能も尽き果て、孤独と絶望のドン底にあった彼女に「フランダースの犬」をかくインスピレーションを与えたのかもしれない。

ただのフィクションというには、あまりにもリアルだ。

少年ネロとパトラッシュは、彼女自身であり、彼女の希望。
彼女のルーベンスの絵を拝んで、人生の終点で
最期に心のやすらぎと平穏をえたのかもしれない。

子供のために、ビデオを買おうか・・・
また泣いちゃうかも!
子供と相棒の肩を抱き合って、大泣きするのもいいかな?





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最終更新日  2004年10月19日 07時52分20秒
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