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カテゴリ:徒然なるままに・・・
昨日は雪がちらつく中、Fさんと岩谷観音を撮りに行った。
平安末期から鎌倉期にかけて、信夫山の山腹に彫られた磨崖仏で、 幾星霜を経るうちに、風化が進んで顔がなくなったもの、 何と彫られたのか分からなくなった文字などがあったが、 今なおしっかりとした形を保っているものもある・・・ 磨崖仏へ行くには非常に急な階段を上がるか、 遠回りにはなるが、緩やかな道を登って行くしかない。 体力に物を言わせて、私たちは急な階段の方を登ったのだが、 あと10段位になった時に足が鉛のように重くなり、 足を上げるのがやっと、 着いた時は、暫く口も利けないほど息が苦しく、 心臓が早鐘のように鼓動していた。 そんな私たちを穏やかな表情の仏たちがお出迎え、 長年の風雪にじっと耐えながらも、少しずつ風化して行く仏たちに、 諸行無常の理を見た。 せめて写真に今ある姿を留めたくて、 私たちはひたすら物も言わずに、それらの仏たちをカメラに収めた・・・ 殺伐とした世の中になりつつある今、 古人が残した遺産を眺め、自身を振り返り、 反省する時間を持つのも良いのでは・・・? ![]() 磨崖仏 岩谷観音 (クリックで拡大) 信夫山の中腹、東側の岸壁に掘られた磨崖仏群で、 三十三観音、地蔵尊、不動尊など60余対が刻まれている。 平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、 この地を支配していた豪族、伊賀良目氏が岩をくりぬいて造ったお堂に、 持仏の聖観音を祭った窟(いわや)観音に始まるとされ、 その後独立した観音堂が建立され、 現在の観音堂は慶長19年(1614)に再建されたものである。 ![]() 岩谷観音・2 (クリックで拡大) 磨崖仏群像の上には、百庚申と称する「庚申」の文字がたくさん刻まれていて、 当時の養蚕の安全を祈った農民信仰がうかがえる。 参照サイト:岩谷観音 あぶくま観光MAP 学んで遊んで体験しよっ!「岩谷観音」 * ↑以外の画像はYahoo!フォト“磨崖仏群 岩谷観音”にアップしてあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/01/20 04:05:52 AM
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