東日本大震災から4ヶ月が経ちました。もう4ヶ月なのか、まだ4ヶ月なのか何ともいえない微妙な感じです。津波が襲った沿岸部はまだ復興の真っ最中のようですが、仙台市市街地は大分整備が進んできたようです。
あの日、地震が起きた午後三時頃は事務所でいつも通りパソコンの前で仕事をしていました。寒くなってきたのでストーブを点けようとしたら、灯油が入っていなかったので灯油缶を持ってきて給油していると、急に部屋が揺れ始めました。まぁ大したことないだろ、とそのまま給油をしているといきなりすごい揺れが襲ってきて、そのまま私とストーブと灯油缶が一緒に倒れました。幸いストーブには点火していなかったのですが、部屋中に石油(灯油缶ほぼ1缶分)がこぼれ、私は体半分が石油まみれになり、その上に本棚からいろいろなものが落ちてきて、最後には本棚そのものが落ちてきました。確実にこのマンションは倒壊するだろうと本気で思いました。揺れがようやくおさまると窓の外から女性の悲鳴やクルマのクラクション、誰かの名前を叫ぶ人、防災ベルのけたたましい音が聞こえてきました。停電したようなので階段で下まで降りると(事務所は8階です)、同じマンションの住人や近所の方などが呆然と立ちすくんでいました。
気がつくととっぷりと日が暮れていました。余震の続く中やっとのおもいで携帯と財布とクルマの鍵だけを取りに戻り、実家や兄の家などに連絡を取ろうとしましたが携帯も公衆電話も全く通じず、視界に入る道路は全て渋滞していました。私はどういうわけか仙台駅に行ってみれば何か情報が得られるかもと思い、自転車で駅に向かいました。
写真は震災当日の仙台駅です。街は停電で真っ暗になり、所々に自家発電か非常用の灯りが見えるのみでした。仙台駅も停電らしく真っ暗で立ち入り禁止の張り紙があり、駅前は閉め出された利用客でごったがえしていました。写真中央の明るいライトはテレビ局のもので、なにか生中継していたようです。ヘルメットをかぶったレポーターとテレビカメラが見えました。
ちょっと角度が違いますが、これが普段の仙台駅。明るいですね(
駅wikiから借りました)。
停電の仙台駅を撮っていた(多分夜7時頃)時、私は三陸沿岸部が津波で壊滅的な被害を受けていることをまだ知りませんでした。
続きは後日アップします。