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January 15, 2019
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カテゴリ:気になるTV番組
2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』
第2回の部分的な感想です。

今回は前回より時間が少し戻って、主人公・金栗四三
(中村勘九郎さん)の生まれる前の頃になりました。
ドラマの中でつい1ヶ月前まで見ていた『西郷どん』の
西南戦争や、2009年から放送された 『坂の上の雲』
連動する部分が出てくると、それぞれの歴史ドラマが
時代を受け継いでいくのを感じます。

また人間ドラマの部分でも、この時代は『坂の上の雲』
でもあったように、長男は特別な立場にありました。
父親の次に長男が権限をもち、弟妹は兄に従う。
でも代わりに長男は家のことに責任をもち、家族全体の
面倒を見ていました。

『坂の上の雲』で阿部寛さん演ずる秋山好古(信三郎)は、
貧しさゆえに藩校に通いながら働いて家計を支えて苦労し、
軍人になって東京に配属されたら、東京で勉強したいと
いう弟の真之(淳五郎:本木雅弘さん)の学費や生活費を
出してやり、面倒をみてやっていました。

デキのいい弟妹がいて彼らが進学を望むなら、兄姉たちは
可愛い弟妹のために自分が働いてできるだけのことをして
やっていて、兄姉たちは尊敬され感謝されていました。

今回の『いだてん』でもその流れがありました。
中村獅童さん演ずる金栗実次は歳の離れた四三が可愛くて、
でも小さくて弱いからと甘やかしてはいけないと、四三に
厳しく接していました。
それでも四三の進学あたっては、自分たちより上の学校に
行けるよう責任をもって後押ししてくれました。

つい先週、経済的にも恵まれ自由闊達に生きるエリートの
坊ちゃんたちを見ました。
そして今週はド貧乏とはいわないまでも家族の皆が朝から
晩まで働かなければいけない家のお話でした。
あの時代の、それぞれの人が持つ人生ですね。


明治24年(1891)8月20日、西南戦争(1877)の最大の激戦地となった
田原坂からほど近い玉名郡春富村の山深い集落にある旧家の金栗家で、
8人きょうだいの7番目として四三は生まれました。



四三が生まれた明治24年、嘉納治五郎(役所広司さん)は熊本に来ていて、
第五高等中学(五高:後の熊本大学)の校長に就任しました。



このとき嘉納治五郎先生を慕って、小泉八雲や夏目漱石も教授として五高に
やってきていました。



四三は生まれたときから身体が小さくて弱くて、家族の皆は案じていました。
そんな折に「嘉納先生に抱っこしてもらえば丈夫になる」という話が人々の間で
広まっていて、病弱な父が四三を熊本の五高まで連れていくことになりました。
祖母のスマ(大方斐紗子さん)が四三を優しく見送ってくれます。



春富村から五高のある熊本市まで10里(約40km)を、病弱な親子二人が
ふらふらになりながらなんとか歩いてたどり着きました。
しかしやっとの思いで五高に着いても、そこはすでに黒山の人だかりでした。



中で治五郎先生が柔道をやっているのを見たいけど人が多くて見られない小さな
四三のために、この口髭の青年(ねりお弘晃さん)が声をかけてくれて、四三を
高く抱っこして中の様子を見せてくれました。
(父・信彦(田口トモロヲさん)と胃痛でシンクロするこの青年は、もしかしたら
夏目漱石先生・・っぽいですね)



青年のおかげで四三は治五郎先生の柔道を少しだけ見ることができました。
しかしこのとき結局は、治五郎先生に抱っこはしてもらえずでした。
父は家族の皆に「先生に抱っこしてもらえた」と嘘を言い家族は喜んでいましたが、
四三の様子から長兄の実次(中村獅童さん)だけは父の嘘をわかっていました。



幼き頃に10里の道のりを頑張って歩いて熊本まで行って、でも念願叶わず
あきらめて帰らざるをえなかったあの日の思いが、父の思いが今ここで。
先週のラスト場面は、単にフラフラでゴールした四三を嘉納校長が狂喜乱舞で
受け止めたというだけではない、四三の密かな思いがあったのですね。



やがて尋常小学校に入学した四三でしたが、山を越えて進む険しい道を体力の
ない四三は兄たちに付いていけず、置いていかれることもありました。



四三が学校に行かず家に引き返してきたため、実次は四三をお仕置き部屋に
閉じ込めて「学校が嫌ならそこで勉強しろ!いくじなしの弱虫は学校に行かんで
いい!」と四三を厳しく叱りました。
さらに「みんなと勉強したいなら、友達と遊びたいなら、走らんか。」と。
可愛い弟を思って甘やかさずに厳しく接する実次の姿にちょっと感涙でした。



ある日、兄嫁のキヨメのお産があり、そのとき四三は身体には呼吸法がある
ことに気がつき、いろいろな方法を試しました。
そして「スッスッ、ハッハッ」の呼吸が一番苦しくないことがわかりました。



明治34年、四三は高等小学校へ進学し往復3里(約12km)の韋駄天通学を
していて、この頃には四三はすっかり丈夫な身体で足が速くなっていました。
そしてこの頃、病弱だった父・信彦が危篤となり、兄たちは父に「四三だけは上の
学校に行かせてやってほしい。学費は自分たちが出すから」と願い出ました。
小学校しか出てない自分たちの分を、自分たちが働いて金出してもいいからデキの
いい弟に~~優しい兄たちの思いに感動でした。(´;ω;`) 泣



明治38年(1905)、兄たちのおかげで四三は玉名中学に進学しました。
中学からは寄宿舎生活で、週に1度、5里(20km)の道のりを走って実家に
帰ってきていました。


その途中の高台からは対馬沖で連合艦隊とバルチック艦隊が戦っている砲撃音が
聞こえてきて、四三少年は胸が高鳴り海に向かって声援を送りました。
(日露戦争の日本海海戦、1905年5月27日~28日)



実家に戻った四三は跡を継いだ長兄・実次に、自分はこの先、海軍兵学校を
受けようと思っていると相談しました。
海軍兵学校を出ればその先は将校(=金栗家の誉れ)なので家族は大賛成し、
実次も少しためらいながらも賛成してくれました。



冬になり、中学の五条先生から風邪予防ためには冷水浴がいいと聞かされた
四三は、早速冷水浴を始めました。
でもあまりの水の冷たさで、思わず奇声をあげて走り回っています。
(このシーンの、位置が絶妙過ぎる窓枠にネット民から称賛が。笑)



海軍兵学校の受験に向けて、四三は勉強も訓練も冷水浴も頑張っています。
友人の美川秀信(勝地涼さん)が夏目漱石の本を読んで感銘を受けたと語り、
かつて五高の先生だったという漱石の似顔絵を四三に見せてくれました。
四三は絵を見て、どこかで見たような人の記憶があるけど、気にせず自分の
勉強に励みました。(たぶん幼き日に四三を抱っこしてくれたあの人だと思う)



精一杯準備をして、自信をもって臨んだ海軍兵学校の受験でしたが、四三は
目の検査で不合格になりました。
兄も姉も小学校しか出ていなくて、自分だけ中学に行かせてもらってて、受験は
家族の皆の期待を背負っていたのに、不合格で呆然自失になっていました。
そこへ春野スヤ(綾瀬はるかさん)がやってきて・・・



激しく落ち込む四三を「将来お嫁さんになる人なら・・云々」と励まします。
スヤとあれこれ話をして元気が出た四三は、スヤと一緒に帰っていきました。
(段々畑の上り坂を激走する綾瀬はるかさん、来週は汽車を追いかける?)



ある日のこと、友人の美川が東京高等師範学校を受験すると言うので、その
案内書を見せてもらった四三はその中に嘉納治五郎の名前を見つけました。
病弱だった父が自分のために病の体を押して10里を歩いて会いに行って、でも
無念に終わったあの時の、憧れの先生の名でした。






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Last updated  January 15, 2019 09:01:46 PM


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