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June 27, 2023
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カテゴリ:気になるTV番組
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。

今回は次回の「築山殿事件」の原因となる流れを描いたよう
でしたが、私の正直な感想では、瀬名(有村架純さん)を
悪者にしないために、加えて瀬名を素晴らしい考えを持った
女性とするために、かなり無理やりな感じがありました。

それは同時に、徳川家康(松本 潤さん)を、瀬名には弱い、
なんとも頼りない武将にしてしまった感じです。
(家康は亀姫や信康から“情”で訴えられると、結局は子たちの
言うことを聞いてしまう場面もこれまでにありましたが。)

家康が戦国乱世の中で家臣たちと共に戦いを続けているのは、
民を守り国を豊かにするために「まず自分たちが強くなって、
戦乱の世を終わらせる」という考えがあったと思うのですが、
家康はそれを忘れて瀬名の夢が素晴らしく思え(正直、甘い)
考えに流されてしまいました。

瀬名のプランがうまくいくと思い込んでいれば家康は考えが
甘いし、瀬名のプランがリスク大だと分かっていて決行した
なら家臣や領民を守る気はあるのかと思えます。
家康さん、どういうつもりだったのでしょうか。

築山に来た者は瀬名の考えに誰もかれもが感心し賛同・協力
するというシーンを見ていると、この方々はモノの価値とか
人と人の利害関係とか欲とか、何も考えていないのかとさえ
思うような感じでした。

どうしても瀬名と武田を結び付けるなら、例えば「信康の病を
治す薬が欲しくて武田と~」とかにしておけば、無理のない
展開だったのかなとも。

他にもイロイロあり、今回の感想は私が知る当時の歴史的な
背景も考えた、疑問だらけになってしまいました。

こちらでは様々な意見がでていて参考になります。
 ⇒ ⇒  #どうする家康

岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。
 ⇒ ⇒  こちら
静岡市の大河ドラマ館、開催されています。
 ⇒ ⇒  こちら
浜松市の大河ドラマ館、開催されています。
 ⇒ ⇒  こちら
岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・
ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒  こちら


徳川家康(松本 潤さん)の嫡男で岡崎城主である信康が、近頃は母・瀬名のいる
築山に入り浸っている、その築山には正妻の五徳も守役の平岩親吉も入れなくて
中の様子がわからない、さらには築山からあちこちに密書が飛んでいて連日身元の
わからない者たちが築山に来ている、といった報告を浜松にいる家康は受けました。
石川数正(松重 豊さん)ら重臣たちは岡崎の離反とその先にある身内同士の戦を
案じ、鷹狩りと称して岡崎のことを家康に忠告しに来た織田信長の様子から、酒井
忠次(大森南朋さん)はすぐにも手を打つべきと家康に進言しました。



さて、武田の館に忍んで瀕死の重傷を負った大鼠(松本まりかさん)でしたが、
その後なんとか生き延びたようでした。
療養を続ける大鼠は様子を見に来た服部半蔵(山田孝之さん)にそろそろ仕事を
くれと頼みましたが、半蔵は忍び働きはもうやめて誰ぞの嫁になれと意見しました。
でも「おめぇをもらってくれる男はいないし、自分の命じた仕事で怪我して・・」と
口下手な半蔵なりに大鼠に求愛をしていたようですが、大鼠の返事は・・・(笑)



信康の他、築山に誰かが来るときは、必ず人払いがありました。
半蔵は忍びの者を庭師として築山に送り込み、大鼠もひと月ほど床下に潜んで
中の様子をずっと探っていました。
半蔵が大鼠から受けた報告は「築山には減敬と名乗る武田の重臣、於大(家康の
母)とその夫・久松、今川氏真とその妻・糸らが来ている。今朝も茶や菓子が
運びこまれているから明日にでもまた誰かが。」と。
家康は3人に兵を集めるよう命じ、瀬名と信康に知られぬよう築山に乗り込む
ことを決め、大樹寺に移動しました。



築山に減敬らしき者が入ったと報を受けた家康は、石川数正と酒井忠次を伴って
築山に乗り込みました。
すると瀬名(有村架純さん)と徳川信康(細田佳央太さん)は家康を待っていた
と言い、武田の重臣・穴山信君と面識がある数正と忠次はすぐに減敬は穴山だと
気がつきました。
穴山は丸腰でここにいると言い、瀬名は自分の話を聞いて欲しいと強く言うので、
家康は話を聞くことにしました。
瀬名は、この戦乱の世を「奪い合うから与え合うにしたい」と言います。
一緒に話を聞いている忠次は「仰せになることはわかるけどそれは理屈、実際は
うまくいかない。」と、そして数正も「少なくとも徳川と武田がそのように結ぶ
ことはない。」と瀬名に進言しました。



瀬名は自分の理想を実現するために、氏真と久松から誓書を取ってある、どちらも
自分の考えに賛同で協力を約束している、東国をまとめ上げ、共通の銭を使って
一つの経済圏ができれば、それは織田に対抗する大きな力となる、と信康と共に
瀬名は目を輝かせて語りました。
そして瀬名は自分と同じ夢を見てくれと、家康たちに懇願しました。
(要するに、戦をせずに交易で互いの利を得て共存していこうということだと
思いますが、それは以前から行商の者たちが個々でやっているし、双方の持って
いるモノの価値の差が大きいと、国同士という大きな単位での物々交換はそれを
生産する者には不満となり、分配でも簡単にはいかないでしょう。民たちが戦の
ときに苦しくても高い年貢や労働力を出すのは、我らがお殿様が勝てば後が安定
するからであり、瀬名は働いてやっと得たものを持っていかれる苦しさがわから
ないから、簡単に夢を描くのだと思います。誰もが瀬名の考えを讃え、賛同して
しまう中で、数正と忠次がマトモでよかったと思いました。)



家臣たちは家康が決めたことに従うのみ、と決めていました。
そして家康は瀬名の考えを受け入れてしまい、同時に武田の重臣の穴山は「戦い
続ければ先に力尽きるのは武田。我らが生き残るためにも!」と主君・勝頼を
必死に説得し、勝頼もそれに乗ることにしました。
浜松城では忠次と数正が重臣たちを集め、徳川と武田の密約が成立した、今後は
戦をするフリを続ける旨を伝えました。
忠次は、織田に知られないよう、そして瀬名の目指す東国の夢を必ず成し遂げる
と強く皆に伝えました。
(とはいえ、忠次と数正は万一のときは、家康や瀬名の代わりに自分たち二人が
責任を取る覚悟だったと想像しています。)



徳川と武田は、戦場で相対しても空砲を撃ち合うなどして、しばらくの間は互いに
戦のフリを続けました。
(戦のフリというのは『真田丸』でも1回出てきました。しかしずっとこれが続け
られるとういのはやはり無理に思えます。時間がたてば商人たちが、徳川も武田も
鉄砲の火薬を買ってくれないとか、遺体がないから地元の農民たちが甲冑や武器を
もらっていけないとか、何か変だとそれぞれが感じるでしょう。
そして村人の世間話から行商人に伝わり、すぐに信長に伝わっていくと思います。
信長が楽市楽座をさせたのも、行商人や忍びを使って諸国の情報を集めたり、逆に
都合のいい噂を広めさせるためだったのですから。)



天正7年(1579)、安土城に移っていた織田信長(岡田准一さん)は徳川が未だ
高天神城を落とせぬことに苛立っていました。
信長は徳川の目付の佐久間信盛(立川談春さん)を叱りつけ、そして「家康に何か
あれば責めを負うのはお前だぞ。」と佐久間に忠告していました。
(やっぱり家康が可愛い信長がいると、どこか安心してしまいます。)



武田勝頼(眞栄田郷敦さん)は穴山信君(田辺誠一さん)と千代(古川琴音さん)を
呼び、徳川との戦の状況を聞きました。
戦のフリでうまく信長の目をくらませていると聞いた勝頼は、逆に全てを明るみに
出す良い頃合いと考え、二人に「徳川は織田を騙し、武田と裏で結んでいると噂を
ふりまけ。信長の耳に入れてやれ。信長と家康の仲を壊せ。あの二人に戦をさせ、
わしは織田・徳川もろとも滅ぼす!築山の謀略、世にぶちまけよ!」と命じました。
その噂はたちどころに広まり信長の耳に、そして信長が知ったことが岡崎の瀬名と
信康に、浜松の家康たちにも伝わりました。






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Last updated  June 27, 2023 04:08:16 PM


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