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テーマ:洋楽(3285)
カテゴリ:70年代洋楽
「パンク・ロック」と呼ばれるものはそれこそ星の数ほどある。 が、「史上No.1パンク・ロック・アルバムは?」と聞かれれば、本作を挙げる事に大方は異論がない所だと思う。 とにかく痛快なアルバムだった。 「パンク」、ことさらピストルズというと暴力的なイメージがとかく先行し、「どんなオッカない音楽なんだろう?」とオソるオソるCDプレイヤーにかけてみたら、ポップで小気味良いロックンロールがポンポンと飛び出してきた。 全12曲で40分弱というコンパクトさもあって、似たような曲が多いにも関わらず一気に聴き通せるアルバムだった。 そのギター・サウンドはThe StoogesやNew York Dolls(ピストルズの「Liar」はNew York Dollsの「Puss'n'Boots」のモロパクリ)の影響下にあるものだ。 また、構成のくっきりした楽曲は伝統的なポップスの様式を踏襲したものだった。 ピストルズと並んで「パンク・ロック」の代名詞とされるラモーンズも、楽曲的には60年代ポップスのレプリカであったという事は、「パンク」と呼ばれる音楽を考える上で実に興味深い。 ピストルズの場合、作曲を主に担当していたのはベースのグレン・マトロックだが、「ポップ」といってもメロディが甘くなり過ぎない適度なポップ感覚が絶妙で、楽曲に味わいと奥深さを与えている。 また、従来的なコード進行やリフを使いながらも、ピストルズの音楽にはそれまでのロックンロールにはない強制的なグルーヴや疾走感があった。 サウンドに関しては、プロデューサーであるクリス・トーマスの力が大きい。 クリスは音に重量感を持たせるため、一曲につきギターのパートを最低でも4・5回、多い時は10回以上録音させている。 ステレオ的に中域に寄った、悪く言えばダンゴ状の音作りが特徴のこの人(片方の耳があまり聞えないらしい)のやり方はピストルズと実に相性が良かった。 デビュー前の演奏を聴けば、ピストルズの基本的な音楽スタイルはメンバーが作り上げたものである事が分かる。だが、後期ビートルズのエンジニアとしてデビューしたこの名プロデューサーが果たした役割は計り知れないと思う。 そしてジョニー・ロットンによる歌唱だ。 CANを愛聴していたという彼の巻き舌ボーカルが与える緊張感。 辛辣な事柄を歌っているのに、決して深刻になり過ぎず、その歌声には「ゲハハハ」と笑い飛ばしているようなユーモアと爽快感があった。 また、ジョンは他のメンバーとうまくコミュニケーションができず(特にスティーヴ・ジョーンズとは最初からウマが合わなかったらしい)、バンドの人間関係は常にガタガタで、そうした「鬱屈」もバンドの音楽に混沌と緊張感を与えていたと考えられなくもない。 バンドの"音楽的なリーダー"はグレン・マトロックだったかもしれないが(他のメンバーもそれについては認めている)、ピストルズというバンドに他の追従を許さない輝きと個性を与えたのはジョニー・ロットンだった、という事は否定できない。 このアルバムから二十年後にSex Pistolsは再結成され、「ジジイになって帰ってきたぜ!」という言葉と共に来日公演まで行われた。 多くの人が抱いていた「最後のロック幻想」は彼ら自身によってトドメを刺されたわけが、このアルバムがなかったらロックは「ホテル・カリフォルニア」で終わっていた可能性も充分にあったと思う。 そういう意味ではこのアルバムの意義は今もって変わる事がないし、ここに封じ込められたパワーとオーラは永遠不滅のものだ。 アルバムの冒頭を飾る「Holidays In The Sun」は、'77年10月に発売された4枚目のシングルである。個人的には、ピストルズの中で最も好きな曲だ。 グレン・マトロック脱退後に作られた曲で、メイン・コンポーザーはおそらくスティーヴ・ジョーンズだろうが、曲のクオリティは文句なし。 ちなみに、曲の軸となるギター・リフは、The Jamの「In The City」のそれに酷似している。 作品が発表されたのはジャムの方が先なのだが、今となってはどうでもいいことだ(少なくとも自分の中では)。 「俺はベルリンの壁を見に行く」と歌われたその壁も、とうの昔になくなってしまった。 「Holidays In The Sun」を聴くにはここをクリック! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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