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カテゴリ:教授の読書日記
Jazz の世界に入門したものの、いわゆる「Jazz評論家」の推薦するCDの多くにピンと来ないワタクシ。ひょっとして私がおかしいのか、それともJazz評論家ってのが全員馬鹿なのか、と悩んでいたところ、ついに見つけましたよ、気の合うJazz評論家を! 寺島靖国さんがその人です! 寺島さんの『辛口! Jazzノート』を読んでいたら、「あ、この人の感性、分かる!」と初めて思いましたね。 例えばちょうど一年前、昨年の4月27日のこのブログに、私は次のように書いています。 「しかし、そこがジャズの困ったところなんですよね。こちらは駆け出しのジャズ・ファンですから、どうしてもまず「本」から情報を得ようとするわけですよ。で、色々なジャズ関連書を読んで、どうもこのアルバムが傑作らしい、というアタリをつけるわけ。 で、実際買って、聴いてみる。すると・・・ つまらん・・・。・・・ということが往々にしてあるんだよなー。 たとえば日本でも人気のソニー・ロリンズの代表作『サキソフォン・コロッサス』にしても、私には下卑たキャバレーの音にしか聴こえないですし、天才ピアニストとして並び称されるセロニアス・モンクの『ヒムセルフ』やバド・パウエルの『ジャズ・ジャイアント』も、その天才たる所以が私には分かりません。オスカー・ピーターソンなんてピロピロ早弾きしてるだけですし、チック・コリアの『リターン・トゥー・フォー・エヴァー』なんて、冗談でCMソングでも作ったの? という感じ。キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』にしても、気取りが鼻について退屈してしまう。その他、ソニー・クラークだの、アート・ブレーキーだの、ホレス・シルヴァーだの、デクスター・ゴードンだのって、「買った、聴いた、退屈した」というジャズ・アルバムは数知れず。いわゆるジャズの批評家だのファンだのってのは、ほんとにこれらを聴いて「良い!」と思ったのか知らん。」 さて、次に『辛口! Jazzノート』の寺島さんの文章を見てください。 「ジャズのなんたるかがわからなかったこと、名盤の名に惑わされて買ってはみたものの、あまりの名盤度にがっかりし、割りたくなったレコードが、何枚もある。バド・パウエルの『アメイジングVol.1』、マイルスの『バース・オブ・ザ・クール』、『ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン』などがそういう恨めしいレコードである」(59頁) ほらね、私とまったく同じことを書かれているじゃないですか! で、寺島さんはさらに続けて、このようにおっしゃっています。 「今考えてみると、ぼくは名盤の意味を完全にとり違えていた。『名盤』に二種類あることに気がついたのは、ジャズを聴きはじめて十年くらいたってからだから、ぼくは相当お人よしでオクテのジャズ・ファンだった。 僕の考えでは、どうやら名盤は、1.いわゆる「ジャズの発展」なるものに寄与した名盤、2.ファンが目を細めて聴きいる名盤、の二種類に分かれるようだ。 前記の三枚はすべて1.に属していたというわけである。 ところが、そんなことは誰も教えてくれないから困る。」 もちろん、私も内心ではそういうことなんだろうと思ってはいましたが、こうやって年季の入ったJazzファンのお墨付きをもらうと、自信が出てきます。要するに、専門家の言うことなんか放っておいて、自分の耳と感性だけ信じろってことなんですな。 また昨年8月31日のブログで私はチェット・ベイカーというトランペッターについて次のように書いています。 「ところでチェット・ベイカーという人の特徴の一つは、彼が歌う、ということなんです。彼はトランペットを吹くだけでなく、ヴォーカルもやるんです。 で、それが人気のもとでもあり、また不人気の理由でもあるんですな。事実、ジャズ関連の本の中で、チェット・ベイカーについて触れている部分を読むと、たいてい彼のヴォーカルのことが批判的に書かれています。たとえば『ジャズCDの名盤』(文春新書)で悠雅彦氏は「打ち明ければ昔から熱心なファンではない。ことに彼の歌は苦手だった」(189頁)と書いているし、『新ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)の著者・後藤雅洋氏は「彼の異様とも思える中性的ヴォーカルが・・・うまいんだかへたなんだかよくわからないが、とにかく個性的であることはまちがいない」(121頁)と述べています。他にも色々ありますが、とにかくジャズ通の間ではチェット・ベイカーのヴォーカルはあまり高く評価されていないんです。 しかし、「異様とも思える中性的ヴォーカル」だなんて言われると、私のような素人は逆に興味が出てくるわけですよ。ヴォーカルが「異様」ってどういうこと!? で、買ってみたわけですよ。で、聴いてみた、と。 ・・・いいじゃん、結構。ワタクシ、好きかも・・・。 ま、確かに「中性的」と言えば、そうかも知れません。こういう感じのくぐもった、アンニュイな感じの歌い方をする女性ヴォーカルって、結構いますからね。でまた、上手いか下手かと言われたら、答えに窮するところがある。しかし、そんなこと言ったら、松任谷(荒井)由美の歌は上手いか下手か、小野リサのボサノバは上手いか下手かを問うのと同じで、あんまり意味がないような気がするんですよねー。 要するに、雰囲気が出てるかどうか、その雰囲気が好きか嫌いかってことですよ。で、それを言ったら、私はかなり好きな部類ですね。特に8曲目の「You Don't Know What Love Is」なんて、歌詞・曲調とも泣かせてくれます。トランペットの方は、洗練されたウェスト・コースト系のクールな音色。」 要するに、多くのJazzの専門家と違って、私はチェット・ベイカーを高く評価したんですな。 すると、嬉しいことに寺島靖国さんもまた、チェット・ベイカーがことのほかお気に入りのようなんです。以下の文章をお読み下さい。 「ある日突然、うそのようにジャズから足を洗ったジャズ・ファンを、ぼくは何人も知っているが、彼らはすべてハードで一途なファンであった。そして申し合わせたように『チェット・ベイカー・シングズ』のようなレコードから目をそむけていた。 このレコードの特徴をひとくちでいえば、ジャズ・ボーカルにはめったに見られない淡白なリラクゼイションと、“無意識にでたジャズ意識”の絶妙なバランス感覚にある。(中略) この十四曲はすべて、ベイカーに歌われるために作られたような曲である。なにより称賛すべきは、自分の持ち味が最大限に生かされる曲を選んだ彼のセンスだろう。 歌手の価値は、歌が上手かヘタかより選曲センスで決まる。名盤か駄盤かの分かれ目になる。(中略) もし終生ジャズを聴き続けたかったら、愛すべきジャズの空気穴として大きな価値をもつ『チェット・ベイカー・シングズ』を聴くべきだろう。」(68~72頁) ほれほれ、またしても私と寺島さん、ほとんど同じことを言っているじゃないですか! ということで、今回寺島さんのこの本を読んで、私は何度も頷き、同意し、溜飲を下げました。こんなこと、Jazz関連の本を読んでいて初めてです。 その他、『辛口! Jazzノート』には面白い話題が満載。例えばJazz評論家としての大橋巨泉氏がいかに優れていたかとか、素人Jazz専門家・鍵谷幸信氏の才能と限界とか、私も大ファンである植草甚一氏のJazzの聴き方は評価できるのかどうか、とか、へえ~と思うことばかり。また、Jazz喫茶経営の苦労話も面白いですし、中古レコード屋巡りのエッセイなどは、古本屋巡りに通じるものがあり、それを唯一無二の趣味とする私には非常に興味深かった。 というわけで、この本、Jazzを聴きはじめようかな、などと思っている人、ちょっと聴いてみたけど自分には理解できないな、などと思ってしまった人にはまさにピッタリ。教授のおすすめ! です。連休後半の読書に、ぜひ! これこれ! ↓ 辛口!jazzノート お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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