カテゴリ:気を見る
スピリチュアルな存在の次元を考えさせられたことがあります。
今回は、高次元がどんなものかで、自分の失敗体験からお話します。 以前、気がわかるようになり、得意に思っていた時のことです。 その時は人間の気かそれに近い気を感知して、わかった気分になっていました。 もう10年以上前の事ですが、京都の結界ツアーをしたことがあります。 いろいろな神社の気を感じながら大勢で巡っていました。 私もそれなりに感知していました。 城南宮に来たときのことです。 私はまったく神気を感じることができませんでした。 迂闊にも案内してくれている人に 「ここは、神様がおいでにならないみたいですね」 と口走ってしまいました。 それ以来、案内してくれた人とは縁が切れてしまいました。 多分、やっかみで嫌ったのだろうと思っていました。 あるとき、気のセミナーをした時のこと 気のわかる人が城南宮の話をされました。 「城南宮には完璧な、高次元の神様がおられます」 と言われるではありませんか。 私には城南宮の神様が居ないと思っていた記憶が蘇りました。 その後、なぜわからなかったのかが、わかりました。 それが高次元の神様ということだったのです。 高次元の神様はあまりにも粒子性が細かく、ちょっと感知しにくいのです。 今、私はそうした粒子性の細かな高次元の神様を見逃さないように 高次元の神様というイメージを持って気を感知しています。 そうしないと見逃してしまうくらい、存在が希薄なのです。 人間の肉体のレベルの気とは随分違うものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年05月10日 09時16分47秒
コメント(0) | コメントを書く
[気を見る] カテゴリの最新記事
|
|