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テーマ:◆麻雀について語ろう!(467)
カテゴリ:麻雀
画像はちょいと古いけれども・・・・ 有名な壁の一つだ。 最近頓に思うのだけれども・・・ 理屈ってのは、これもボトムアップに過ぎないよなと・・・ 目的の高さがある際に・・・ ボトムアップをすれば達しやすくはなるのだろうけれども・・・ 完全の跳躍力がないと、目的の高さに発しない。 理屈や理論ってのはボトムアップに過ぎず、それだけでは跳躍力にはつながらないよなとよく思うのだ。 繰り返しになるが・・・・ 7年前の私の日記を見てみてほしい。 ギャンブルにおける結果は今と歴然としている。 代わりに・・・ 今よりもすべて理詰めで考えていたといえるが・・・ 結果は伴っていない。 完全に確率教の敬虔な信者であり・・・ 理に合わぬことを否定していたけれども・・・・ だから・・・ 確率や理に違う事が起きると・・ 敗者である宣言のあの一言を発していた。 そう 「おかしい」というやつだ。 ありえないとかおかしいとか・・・ 理に固執すればするほど・・・ 薄い確率を否定したくなる。 大学の某後輩のオリジナルかどうかは知らないが・・・ 個人的に名言だと思っている言葉がある。 それは・・・ 可能性は存在さえすれば良いという言葉。 その高低はどうでもよく・・・ 存在さえすれば起こりうるという考え方・・・・ そうなんだよな・・ いくら薄くても・・・ 存在さえすれば起きるのだ、さも当然のように・・・ 何度も繰り返すが・・・ 確率なんてものは無限回試行すればそちらに集約するだろうという物だ。 実際に無限回試行できないのだから・・・ それはパラドックスの話と大して変わらないと私は思っている。 とある仮定における事実と言うか・・・ 満たされることのない条件を前提にしているものなど正しいはずがない。 だが・・・ この国の教育においては・・・・ 確率が正しい事として教えられる。 が・・・ 最近、これに疑問をさらに感じるようになったのだ。 というのもだ・・・ そもそも戦時中の軍国教育と同じで・・・ 教育ってのは刷り込みであり・・・ 誰かにとって都合のいい人間を製作する過程なのではないかと・・・ そう考えると・・・ 正しいですよと教えられている事がそもそも、誰にとって正しいことなのか? 教える側にとってじゃないかと思うのだ。 それを正しいと信じる人間が作られることが目的だとしたら・・・・ 刷り込まれた情報を鵜呑みにするのは自分ではない誰かにとって正しい事であり・・・ 果たして自分にとって正しいか否かは分からないと思うのだ。 ふと思ったのだけれども・・・ 馬鹿がいなければ利巧が立たぬという言葉がある。 皆利巧だったら、差が生まれずに利巧が普通に埋没する。 差を生むためには、差そのものが必要で、人間である以上差をつけると言う生物としての欲求があるんじゃないかと思っているんだが・・・ それと同様に・・・ 過ちや間違っている事を信じる人間がいないと・・・ 本当の正解を知っている人間が立たぬのではないかと・・・ だから間違っている人間を製造する。 奴隷が存在しなくて王だけでは組織は成り立たない。 王を成立させるために奴隷は存在する。 逆ピラミッドの組織の脆さは皆分かっていると思うのだ。 確率に関して個人的にはそう思うのだ。 何しろ・・・ 敬虔な確率教の信者で・・・ 突出している人を見た事がない。 無論、これは私の主観で、私が羨ましいと思うか否かと言いう基準だが・・・ 大槻教授が羨ましいだろうか? 斎藤一人氏と比べたらまるで羨ましくない。 つまり・・・ 確率とか理とかってやつは・・・ あくまでも底上げだけれども、天井を突き破るほどの正しさはないのではないだろうか・・・ となれば・・・ 先程の奴隷の話ではないのだけれども・・・ 優秀だけれども王になれない奴隷が一番、いいのではないかと思うのだ。 本当に何もできない奴隷より、そっちの方が遥かにいい。 だから底上げの教育をし・・・ 社会を牛耳る者にとって都合のよい情報をすりこんだりしているんではないかなと・・・・ 今日の麻雀で思ったのだ。 というのも・・・ 最近は行ってきた会社の後輩で・・・ 麻雀が巧い後輩がいる。 確かにかれは手さばき、切り方すべてにおいて巧いと思うのだ・・・ だが・・・ 怖くない。 巧いと強いはまるで別物だなと最近思う。 彼はそんなに巧いなあと思うのに・・・ 勝てないのだ。 明らかに巧くはないと思わされる・・・ 生まれながらにしてヒキの違う後輩と比較して・・・・ 理屈や理論はむちゃくちゃなのに・・・ 強いのだ、そっちの後輩は。 想定内とか理というのは理解できる分・・・ ギャンブルの対戦相手としては怖くはない。 だが・・・ ギャンブルにおいて怖がられないってのは致命的だ。 皆、水鉄砲しか持っていないのに脅しあっているのだ。 それで恐れられなければ相手は全力で向かってくる・・・ ギャンブルは森巣博氏が言うように・・・ 恐れた方が負けるのだ。 勝とうと思ったら恐れてはいけないし・・・・ 恐れさせなければならない。 となると・・・ 巧いってのはどうしても想像の範囲内であり・・・ 恐れられないと菊池寛の形の主人公中村新兵衛のように・・・・ 雑兵に全力で立ち向かわれ負ける可能性がある・・・ そう考えて・・・ 巧い人と巧くはないけれども強い人の結果の差を見ると・・・ どうしても後者の方が正しく私は見えるようになってしまったのだ。 そして・・・ 理屈では運の差を埋めきれない。 かの桜井章一氏も天運と地運という言葉を使っている通り・・・ 麻雀は、上がれるような運を引きこむ方法が技術なのだと思うのだ。 結果を始点として考えても・・・・ 勝った方が正しいのだ。 となると・・・ やはり・・・ 負けているという羨ましくない結果を頂戴しているってことは・・・ 何かが間違っているのだと私は思う・・・・ 麻雀も理屈じゃないなあと最近強く思わされる・・・ そんなこんなで・・・ 本日は麻雀で+9.5K也・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012/06/26 12:45:50 AM
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