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カテゴリ:独り言
もう正月ムードもすっかり掻き消え、明日はもう七日正月である。
実家にいた頃は必ずこの日には「七草粥」が朝食に並んでいたのだが、今はもう用意すらしていない。七草粥を最後に食べたのは7、8年前が最後だと思う。食べたいなあ。 さてこの時期は、昔はそろそろ餅を食べ飽きる頃でもあった。 今では正月の餅などは、スーパーで売られている真空パックの切り餅を買って済ます方も多いだろう。それどころか餅すら買わない方も多いかも。 実際に私は今年の正月には、スーパーで15個パック入りくらいの切り餅を買ってきただけである。 しかし私が子どものころは少し今とは様相が違っていた。 他地域ではどうだかわからないが、東京の下町では少なくとも今から25年前位までは、「正月の餅」といえば「米屋」が配達してくれるものと相場が決まっていた気がする。 もちろん自宅で餅をつく家庭もあったと思うが、下町ではそんなスペースも余裕もない。米屋に注文し、配達されてくるのを楽しみに待っていたのだ。 配達される餅は30cm×50cmほどの大きさで、おそらく米一升分なのではないかと思われるサイズである。それを紅白で3枚くらい頼んでいた気がする。 当然のことながらそのままではサイズがでかい。それを普通のサイズに切り分けるのだ。我家ではそれは父の役割だったが、なんだかんだ騙されて、私が切っていた記憶がある。 さて、楽しみなのはその切り分けた「ハンパ品」である。当然ながら“へり”にあたる部分は食パンの耳を切り取るような感じで切り落とす。しかしそれも3枚ともなると、結構その量も多くなる。もちろん捨てるわけない。そういった「ハンパ品」は細かく切って「あられ」状にしておくのだ。 その「あられ状の餅」が活躍するのがちょうど普通に餅を食べ飽きたこの時期なのだ! 当時は家庭の暖房器具として、一家に一台は「石油ストーブ」が常備されていたと思う。最近はあまり見ないが。 その石油ストーブの天板の上であられ状の餅を焼き、醤油と七味をかけて食べるのが最高に美味しかったのだ。この時期はすでにあられ状のもちもカチンコチンになっているので、それが天板の上で息を吹き返したように膨らんでいくのを眺めるのも楽しかったのだ。 それにも飽きると、今度は母に頼んでそのあられ状の餅を油で揚げてもらい、さっと塩を振りかけて食べるのだ。これも熱々の状態で食べるとカラッとしていて最高に美味いのだ。 しかも、お餅って保存食としてかなり活用できていたのだ。今のように真空パックの餅が普通になってしまった時代では想像もつかないかもしれないが、当時は餅にカビが生えるなんて当たり前。そのカビの部分を包丁で削り取って食べるのが常識だったのだ。懐かしいなあ。 もう、家庭で石油ストーブの天板で餅を焼くなんてありえないのだろうなあ。ましてや火鉢の上に網を置き、そこで餅を焼くなんて「昭和」の映像にしか残っていないのだろうなあ。懐かしいなあ。 実は我家には真空パック入りの餅が1個だけ残っている。なのでこいつを密かに包丁で細かく切り分け、ストーブは無理だがオーブンで過熱して昔を懐かしみながら食べようと思う。 餅の耳の部分が懐かしいなあ。 ではでは。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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