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カテゴリ:過去のこと(今より未熟時代)
還暦過ぎて数年 私の母がもう米寿 年老いても頑張っている母を見てると まだ、私は若いのかな~と いい方に錯覚してしまう こんな私の幼少期の記憶 たぶん保育園年長くらいの春ごろ 母に連れられ、母の知人の家へ~ そこに音楽の先生が教えに来ていた 母が私に 「おまえはオルガンがいいか?ピアノがいいか?習ってみるか?」 と聞かれた 私はよく分からないまま、どう答えていいのか分からなくて 母にべったりくっ付き、服のボタン穴から指を出して遊んでいた タイミングよくボタン穴から出した指がエレクトーンを指していた それを見た母が 「そうか、じゃあエレクトーン習ってみるか」 ってな感じで電子オルガン人生(大袈裟かな)が始まった きっと母の教えなんだと思う 1度始めたら最後まで続けろ。簡単にあきらめるな。が 体に染みついている そんな感じで24歳で結婚するまでやめずに頑張った 前回の日記にも書いた通り 結婚したら出来なくなって長いお休みになってしまった 40歳過ぎにようやく再開出来たものの 指が全てを忘れていた 頑張ってみたが再開には力とそれなりの覚悟が要る その時ついた先生にピアノの資格も取ったら~ なんて言われて、言われる通りテスト曲を練習して ピアノ講師の資格も取った 資格が取れたら今度は、教えてみたら~と (それは無理!)って思いながら「考えてみます」と答えてしばらく放っといた 何度か勧められて困って夫に相談した 吃驚~簡単に「やってみれば~」との答え 気が進まないまま、少しだけ、目立たないように始めてみようと思った どうせ こんなおばちゃん先生、しかも先生1年生に 生徒がつくはずはないし~ 新人で教え方もピアノの基礎も分からないので 研究会に入って勉強した 生徒は以外にも最高で13人という数 だから必死で勉強して練習もレッスンも頑張った 収入より出費が倍かかった~しんどかったなあ でも10年は頑張れた 発表会やテキスト代、グレードテスト手続きとか可愛い月謝袋とか 体力と財力の負担に負けて10~13年ほどで疲れがピークに(笑) 今は教室の看板も下ろし、電子オルガンも手放した 皮肉にも、苦手だったピアノだけが残っている 音楽教室は閉めたのですが、まだ気に入って通ってくれる生徒が約1名居る この子も中学3年生 本当に来れなくなったら素直に受け入れるつもりです ピアノは自分で楽しめるように 一人でも上達できるように 今はそんなレッスンしています ただ、だらだらと書いてしまった 誰にも言えないし 多分誰も聞きたくないだろう話 ここに書けて少し楽になった きっとお休み期間に入った時に終わりが始まっていたんだろうな 私の音楽人生、20~30年くらいか 面白かったです でも頑張った しんどいが殆どでしたけど、 できてよかったです(講師業) 勧めてくれ先生と夫にほんわか感謝です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 26, 2024 05:43:05 PM
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