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2019年09月29日
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カテゴリ:つれづれ

ニューヨークに戻って、次の日はオフを取りましたが
その次の日から、クライアントさんへのセッションをやっています。

「よく燃え尽き症候群とかってあるけど、のりこはいくらやっても、燃え尽きないよね」

おさむにそんな風に言われて、確かにそうだなあと。

キネシオロジーやって’10年経つけど、モチベーションが落ちたり
やる気がなくなったりすることって、ほとんどなかったかもしれません。

もちろん、上手くいかないことや様々な問題は、その時々で色々ありましたが

だから、もうダメだ~とか、やる気が出てこない、とかはならないし

「じゃあ、これをクリアにするためにはどうしたらいいか?」

ということにしか意識が向かないのです。

私は、こういったキネシやヒーリングに関して、特殊な能力があるわけではなく

ごく誰でも普通に持っているレベルだと思っているのですが

もし、私になんらかの才能があるとしたら

このヒーリングに対するモチベーションや情熱が

何があっても失われないこと、だったのだなあ、と最近、思うようになりました。

私にとっては、ごくごく普通のことなので

それが私の能力である、とは、以前は思っていなかったのですが

他の人を見ていて、そういうことに気づいたのです。


そして、そのモチベーションが続いているのは
そこにいつも新たな可能性があるからなんですね。

他の人へのセッションもそうですが、この2、3年間ということで言えば

私は、世界で一番自己ヒーリングやってるんじゃないかしら?

と思えるほど、やっているのですが

特に、これは宇宙系遺伝を初めてから、のことで

それまでは、ここまで自分の中にいろんなものが眠っているとは思っていなかったです。

気づかなかった問題が眠っていた、とも言えるのですが

それはすなわち、可能性が眠っていた、ということ。

だから、自分の中の問題を見つけるのは楽しいことだし

世界がどんどん広がってゆくのです。

そして、その情熱を注ぎ続けるためには
それが本当に好きなことである必要があるわけですが

ちょうど、昨日、お越しになった方もそうだったのですが

自分がやりたいことがよくわからない、という問題を抱えた人って

多いなあと思います。

これは、以前にもお話しましたが、遺伝的には、グレイやゼータレチクル、ロボットなど

感覚抑圧系の遺伝をたくさん持っていたり

または、認められたい、すぐに結果を求める、私はまだまだという不十分感

できるできない意識が強く、できることしかやろうとしないオリオン遺伝

さらには、こうでなければならない、というこだわりの強い冥王星など

様々な遺伝が関連していますが

別の視点から見てみると、そういった自分がやりたいことがわからないという方に
全て共通しているのが

「人との深いつながり感が失われている状態である」ということ。

無人島に暮らしているような人でもない限りは

自分と世界(人)とが分離している状態では、やりたいことも

見えてこないものなんだなあということをつくづく感じます。

私のキネシに対するモチベーションや情熱が失われないのも

キネシオロジーによって、他の人とのつながり感が

さらに深くなっていくからだと思うのです。

いくら自己ヒーリング好きでも、もし無人島に暮らしていたら、

さすがに、モチベーション上がらないでしょうしねウィンク

さて、今日は、キネシオロジーのことではなくて

私が、先日、福岡のソラリアホテルに泊まった時に

ちょっと思い出した私の思い出話をお話させてくださいね。

(この話、以前、一度、書いた記憶があるんですが
それが、ミキシィだったか、このブログだったか忘れたので)

それは、私が24、5歳ぐらいの時のことです。

当時、私は、ある会社でシンセサイザーのデモンストレーターをやっていました。

デモンストレーターというのは、いわゆる、その楽器の宣伝ですから

音楽そのものというより、その楽器が面白そうだ、と人々に思わせなければならないわけです。

私は、駅前や公共のステージで演奏することがよくあったのですが

楽器の紹介は、もちろんやりますが

それよりも、人々が足を止めて、その楽器に興味を持ってもらえるように

いかに目立つか?、そして、いかに演奏を楽しむか?

ということに意識がありました。

私が心から楽しんでいなければ、人は集まってこない、ということを

その当時から、無意識に理解していたように思います。

確か大分の駅前で演奏した時のことでした。

いつものように派手な服を着て、ショルダーキーボードを引っさげて

一人で演奏していたら

フランス人のバンドが通りかかり、その人たちが飛び入りしてきて

一緒に演奏する、というハプニングがありました。

そして、そのフランス’人のバンドを引き連れていたのが、Mさんでした。

彼は、音楽を通じて、海外との交流を行っているプロデューサーだったのですが

私に名刺を渡し、そして今度、福岡のソラリアホテルで

自分がプロデュースしているバンドが演奏するから、よかったらおいで

といって、去って行きました。

それで、それから数週間後、私はソラリアホテルに、その演奏を見にいって

彼と再会しました。

彼は当時、45、6歳だったと思いますが

子供のような無邪気な笑顔と日本人離れした開放的なオーラを持っている人でした。

しばらく話して彼に

「明日、このホテルのバーで一緒に飲もう」と誘われました。

内心、やった~と胸が踊りました。

一目見た時から、彼に惚れていましたから。

(男性として、というより、人として、でしたが)

そして次の日に、ソラリアホテルのバーに行ったわけです。

すると、彼は、バーに座っていて、隣に座っている女性に

何やら、楽しそうに話しています。

私は内心

「あ~あ~、人をデートに誘っている場で

他の女性を口説いているんだからなあ」などと思いつつ

彼と彼女のところに近づいて行くと

「おぉ、中村、よく来た。
(彼は最初から、私を苗字で呼び捨てしていましたが、それも私は新鮮でした)

今、この人が一人でバーに座っていて

ちょっと元気がなさそうだったから

俺が世界を旅して出会ってきた人々の話を話ししていたんだ」

そういって、また世界のいろんな話を彼は続け

私と彼女は、一緒にそれを聞きました。

しばらくして話が一段落してから、彼女が去った後、彼が私に伝えたところによると

その彼女は、ちょっとやばい雰囲気、だったとのこと。

やばいというのは、かなり落ちていて、自殺でもしかねないような

感じだったというのです。

だから、これはなんとか’した方が’いいと彼は感じて

今、どんな問題を抱えていたとしても、それは、ちっぽけな視点から行き詰まっているに過ぎない

と言うことを伝えたくて、世界の人々の話をしたのだそう。

なんて素敵な人なんだろう。

見ず知らずの人に、いきなりそんな話がすることができる人なんて

そうそういないなあと、私が思っていると

彼は私に

「俺はもう明日、東京に戻るけど、彼女はまだヘルプが必要だと思うから

中村は、彼女にまた会ってやってくれ、よろしく頼む」

言うのです。

え~?私に何かヘルプできることなんてあるのかしら?と思いつつ

彼がそう言うのだから、会ってみよう、と、私は彼女に連絡を取り

博多駅の近くで、ランチすることになりました。

もう顔も名前も覚えていませんが、彼女は、私より一回りぐらい年上の人だったと思います。

話に聞くと、やはり、彼の直感の通り

彼女は付き合っていた彼と別れて、絶望してしまい

あの日は、死にたい気持ちで、バーで飲んでいたとのことでした。

ですから、いきなりバーで、Mさんが話しかけてきて、世界の人々の話をしてくれて
その話に引き込まれていたら、いつの間にか、その絶望した気持ちが
軽くなっていた、と言われていました。

私がその時、彼女に対して、何かアドバイスしたり、励ましたりした記憶は

全くありません。

多分、私のことだから、そんなことはやっていないのではないかと思います。

私は、ただ彼女の話を色々と聞いて、そして、私の話をしました。

何を’話したのかも、もう定かではないのですが

ちょうど、私も大学時代から付き合っていた彼と、別れることになり

それから間もなかったので、多分その話をしたでしょう。

その彼とは、結婚することに決めて、お互いの両親と会って

アパートを借りて家具まで揃えた後、別れることになって

その時は、もちろん悲しかったのですが、その頃には

もうすっかり立ち直っていました。

(でも、私はその何年か後に、同じことを、また別の男性とやることになるのですが泣き笑い

その他、私が大学時代からやっていたホステスのバイトでの出来事など

色々話したのかもしれません。

その時の私としては、ただ、話の流れで

自分のことをシャアしただけのつもりだったのですが

彼女が言った一言が、強烈に心に残りました。

彼女は

「すごい、あなた私より若いのに、そんないろんな経験をされてきたのね。

私なら、そんなことがあったら生きていけないかも。

そう思うと、私のことなんて大したことではないことだと思えてきたわ」

そう言って、彼女は元気になって、帰って行ったのです。

それには、私の方が驚きました。

今から思うと、当時、若干25歳で、そう大した経験でもなかったし

ニューヨークに渡ってからの方が、はるかにいろんな経験をすることになったのですが

それでも、その時、私の経てきた経験が、人を元気づけたり、意識を変えたりすることもあるのだ

と言うことを、初めて知った時だと思います。

今、もし、なぜ、私はこんな大変な人生を歩んでいるのかしら?

と思われている方がいたら
それは、それが自分にとって、そして世界にとって

必要な経験だからです。

ただし、そこから抜けない限りは、その大変な経験をしても意味がないです。

そして、大切なのは、いつか、ここから抜けよう、ではなく
今すぐに、そこから抜けるための選択をすること、

少なくともその方向に向かうことなのです。

その後、彼女とは3回ぐらい一緒にランチしたように思いますが

それから、自然と会わなくなりました。

そして、今、思い返しながら、改めて気づいたのは
もしかすると、あの時、彼女が元気になったのは
実は、私の経験の話そのものではなくて、私の在り方みたいなもの
つまりはエネルギーだったのかも?ということでした。
これは元々の私の在り方やエネルギーもあるかもですが
Mさんのエネルギーが、その時の私に自然に影響していたように思うのです。

Mさんとは、東京郊外にある彼の自宅に遊びに行ったり

(残念ながら、彼にはすでに愛する奥様がいたのですけど、それもまた良かったです)

彼が福岡に仕事に来られた時に会ったりしましたが

会えば会うほど、私はMさんに憧れて

彼と対等な意識で話ができる人になりたい、と思うようになりました。

人との深いつながり、オープンさ、子供のような無邪気さ、日本の常識にとらわれない自由な発想

そんなものを彼は持っていましたから。
何よりも彼は、自分の仕事を心から愛し、人々を愛し
食事を楽しみ、そして、人生のすべてを楽しんでいる人でした。

そんな彼と出会ってから、私は日本を離れて、海外に住んでみたい、という思いが強くなり
それから1年も経たない26歳になる直前に
このニューヨークに最初にやってきたのでした。

私がニューヨークに住むことに決めたのは

彼の影響が大きかったです。


彼とは、いつかまたお会いできる時が来るかしら、と思いつつも時が過ぎて
もう20年近くは、お会いしていないのですが

私の20代に、そんな素敵な大人たちに出会えたことが

天からの素晴らしいギフトだったと、今、改めて思います。
Mさんだけでなく、私が出会った、たくさんの方たちから受け取ったエネルギーが
今の私のヒーリングへの情熱へとつながっているのだなあと。


20代の頃、私もいつかMさんのような大人になれたらいいなあ、と思っていましたが

いつの間にか、私は当時の彼より年上になっていたのだということに

今回、ソラリアホテルに泊まった時に、少し感慨深く、思い出しました。
私の思い出話にお付き合いくださって、ありがとう。

量子力学的にも、今が変わると、未来も変わるし、過去も変わるのだそう。

今、あなたが変わるなら、過去も必ず変わります。

辛かった過去は、すべて、この今に、そして未来につながるために必要なファクターとなり

宝物となるのです。






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最終更新日  2019年09月30日 21時38分30秒
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