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カテゴリ:新居周辺
宮古島から移住して 被災地、石巻と女川 前回に続き、東日本大震災地レポートの2回目です。 多くの人も記憶にあるんではないでしょうか。 輪転機が壊れた新聞社で、ガリ版刷りで新聞を発行し続けた新聞社を。 その「石巻日日新聞社」の社屋です。 “いしのまきひびしんぶん”と読みます。 まさに、ジャーナリスト魂が生き続けています。 そんな石巻市の中心地である JR石巻駅からまっすぐ延びる大通りが 商店街通りと交差する角地に残る建物は 今も破壊されたままの姿をグリーンシートで隠しています。 下の写真は女川港です。 四角いブロックが目立ちますが、 すぐ向こう側で半分だけ見えている船と比べても相当大きいです。 そして、 ブロックの手前に並べてあるのは 1袋約1トンの土嚢です。 ブロックの大きさが異常に思えませんか? このブロックは、 3階建てのビルです。 手前の面はビルの基礎コンクリート! そう!ビルが基礎コンクリートをつけたまま ≪横倒し≫になっているんです。 いくらなんでもそんなことは・・・・と思われるかもしれませんので、 別の建物の写真も掲載しますので、確かめてください。 この建物は右側が屋上です。 手前のピンク部分は屋上へ上る階段です。 左側に基礎コンクリートが見えています。 手前を走る軽自動車と比較すれば、 その大きさが分かるはずです。 さらに、横倒しの2棟のビル以外、何もない風景。 綺麗にガレキが撤去されているんですが、 他の建物はすべて基礎を残してなくなっています。 丘の上にある病院の駐車場から撮影したんですが、 本当に何もありません!
この地、女川の海の沖が震源地でした。
大震災から1年半近くたつのに、 この風景です。 ここで生活していた人は今、 どこで、どんな生活をしているんでしょうか? 何を思い、何をしているんでしょうか?
何十ものガレキの山が、 東北以外の人の理解と処理協力を願っています。 平地が狭いリアス式の港町では、 ガレキの処理が完了しないと空地を確保できず、 町の再建地確保もできません。
九州の歴史的豪雨被害が今日も発生しつづけています。
いつどこでも起こりうる災害。
私たちができること、 それは「知る事」と「忘れない事」 そして「がれき処理の受け入れ賛成の声をあげる事」 「災害地に出かけて観光したり物を買う事」など々 いくらでもあります。 皆さんも、無理のない形で、 もっと気楽に、もっと日常の中で、 支援してみませんか! 何か今までと違ったものが見えたり、聞こえたり、 感じることができると思いますので。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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