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翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

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2019.12.14
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大学時代は。貧乏学生でした。
1年間、新聞配達をしていました。
2年生の時に、
大学の勤労奨学金を3年間頂きました。
無返済奨学金でした。
補欠合格で、30名の枠に入ったのです。
4年間、ファッション関係の話しをしたことは、一度もありませんでした。
そんな余裕は、ありませんでした。
父親を亡くして、仕送りが、まったくのゼロになったから、
アルバイトを3つ掛け持ちしておりました。
デパートの掃除、レストランの配膳係り、
都議会議員の事務所でのビラ配り、
テニスコートの日曜日、祝日の掃除と、レジ閉〆係り。
小田急鉄道の電車の掃除もしていました。
そんな学生時代でした。
大学4年生になると
「君、アパレル業界に、就職しないか?」と就職課の職員さんに言われました。
「えっ、全然興味がありません。」と言うと、
「そういう学生を探している業界が、アパレル業界だ。
  東京スタイル、小杉産業、レナウンルック、ワールドなどなど、どうかなぁ?」と言われました。
東証一部上場会社
「東京スタイル」で、5年半お世話になりました。
自己資本比率75%の会社でした。(当時昭和57年ごろ)
「はとみさん、なぜ、一部上場の会社を辞めて、
中小零細の小売店に
転職したのですか?」
...
​​​​​​

という質問をよく受けます。


私は、転職に関して、2年以上悩みました。
(昭和60年~62年春ごろ)

当時、故羽富 正三(しょうぞう)との面接は、20回以上だったと
記憶しております。




では、どうして、「転職」・・・そう思ったのか?

それは、私が、仙台の藤崎百貨店を担当していた時です。
(昭和59年ごろです)

親子連れ、今度、短大を卒業する一人の女性とお母さんが、東京スタイルの

売り場に来て、会社面接のセット・アップ(スーツ)を探していました。




私が、まだ髪の毛がふさふさ時代ですから、

感じがよく感じたのでしょう。




お買い上げ頂くことになりました。

その時に、そのお母さんが、衝撃的なことを私に言ったのです。

「東京と仙台のキャベツの値段が、

違うのに、どうして、同じメーカー、
同じ品番の商品の
洋服が、全国共通の同じ値段なの?」

と聞かれました。





わたしは、「えっ~、」と思わず、言ってしまい、

答えることが出来ませんでした。




出張が終わり、課長にその時のことを報告すると、

「おまえは、バカか?

何故、洋服と食べ物を

一緒に考えるのだ。

一緒にするのではない。」

と言われました。





当時の私は、どうしても、納得できませんでした。


書籍も、電話料金も、保険料も、何故

日本全国、同じ価格で、販売になるのでしょうか?


物価は、仙台と、東京・・・全然違います。

ガソリンの値段、ネギの値段、

その地域によって、違うのに、どうして、

洋服の値段は、同じなのだろうか?



もう、卸しの仕事に、矛盾を感じてきました。

辞めよう、もう辞めよう、

大企業の営業マンは、歯車のほんの1つのパーツだ。

私でなくても、他の人でも、良いのだ。


紙切れ1枚で、人事異動。

いろいろな人に相談しました。




先に東京スタイルを辞めた同期の営業マンにも、相談しました。

反対も、多かったのも事実です。


親戚は、ほぼ、全員反対。

「茨城みたいな田舎に行って、小売業?

メーカーにいなさい。死んだオヤジさんも、嘆くぞ。

せっかく、一部上場会社に、入って、なぜ、茨城だ?

名古屋へ帰って来い。」と言われました。




当時の故羽富 正三との面接で、「なぜ、メーカーを辞めたいと思う?」

と聴かれ、いろいろなことも、言いましたが、今でも、

覚えているのが、

「仙台に出張に行った時、なぜ、キャベツの値段が、日本全国
値段が違うのに、同じメーカー、同じ品番の洋服の値段が、全国同じ値段か?

このことについて、お客様に聴かれ答えられなかった自分が、情けない

と思いましたが、羽富 正三さんは、どう思われますか?」と

聴いたのです。




それは、昭和60年の秋か?昭和61年の春だったと記憶していますが、

何せ、28年以上前の話しです。時期は、定かでは、ありません。

でも、今でも、その光景は、覚えています。



「そうですか~、凄い体験をされたのですね。

あなたのような真剣に考える人が、是非わが社で欲しい。

実は、わが社は、将来、あなたが悩んでいることを解決したい店の

品揃えを強化していきたい。

私も、あなたと同じ考えです。洋服の値段が、何故、全国共通の値段が
不思議だ。

メーカーで決めた価格ではなく、

本当に、本当に、本当に
同業他社とは、価値が違う満足価格を

推進する店作りを将来考えている。

オリジナル商品の開発も、考えている。



でも、わが社には、まだそのノウハウが無い。

是非、力を貸して欲しい。」と言われたのを覚えています。

私は、悩みました。悩みました。悩みました。






この社長故正三が、将来の私に義父になるとは、夢にも、思いませんでした。

今、転職を考えている人たちに言いたいです。

今勤めている会社の悪口を言うような人は、

転職しても、成功の確率は、低いと思います。

でも、長く同じ会社にいれば、良いという意味ではありません。

もう、会社に、ぶら下がる考えや、現状維持や、休まず、遅れず、

・・・このような考えは、通用はしないと思います。

もし、自分(あなた)が、社長だとしたら、

今の自分(あなた)を
採用しますか?

自分で、採点してみろ。

・・と東京スタイルの磯貝常務取締役(当時)に
よく、言われました。



いつまでも、会社にぶら下がるな。定年まで、いようと思うな。

自分をもっと、高く売れ。

故高野義雄社長にも、新入社員時代に、よく言われた言葉です。

また、入社式に、

「いいですか?
みなさんは、一部上場の会社に入社された。

でも、最初は、この会社も、小さかった。

この会社を、無借金経営の会社にした。

私は、先代の社長の住本さんとは、姻戚関係ではない。

お前達も、社長を狙(ねら)え。」と言われました。

当時、まだ一人も、東京スタイルには、定年退職者は、いませんでした。

それぐらい、厳しい会社でした。

給料日を忘れる

くらい働きました。

私だけではありません。

ほとんどの同期の営業マンが、給料日の明細をもらって

「あっ~、今日 給料日だ。」と言って、みんなで、笑ったものでした。

1年間に、同期の新入社員が、3分の1辞めました。

3年間で、半分以上辞めました。

そして、お世話になって、5年半。東京スタイルを退職しました。

ロコレディという会社に入門することになり、

商売の基本を故羽富 正三から教わることになったのです。

小売業の世界に飛び込んだのです。

もちろん、毎日が、失敗の連続。

悩みました。苦しみました。

でも、自分で決断したので、後悔は、しませんでした。

でも、3回も退職届(ロコレディ)を書いて、

涙を流しながら、当時の社長故羽富 正三の前で、破りました。

もちろん、独身時代の出来事です。

後継者になるとは、夢にも思っていませんでした。

姻戚関係でもないのに、

本当に、本当に、本当に、わたしのことを
氣にかけてくれました。

 




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最終更新日  2019.12.14 10:30:08
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