ここからはチームと分かれ、Kuriemonちゃんと2人
ラヴェンナ、モデナへの旅へ出ます。
のんびり朝食を取る暇もなく(早く起きれば無論あった)、
Kuriemonちゃんに尻を叩かれバス停へ急ぐわたし~。
リミニの国鉄駅まではバスで15分くらいかな。
そこから8時20分の電車に乗りました。
リミニからラヴェンナまでは電車で約1時間、切符は4,40ユーロです。
アドリア海(ローマが足の脛ならコッチはふくらはぎ側)の都市ってば
わたしにはなかなか行く機会が無いのでドキドキ。
「なう」(ツイートのことです)ばっかりしていると
Kuriemonちゃんに嫌がられますので注意。
ちなみにMIMOちゃんにだったら叱られます。ラヴェンナ駅到着!
歩いて観光ポイントの集まる市街地へ。
ラヴェンナはモザイクの街として知られていますけれど、
広場の道路標示までがモザイクでできていてとても素敵なのです。
サン・ヴィターレ大聖堂のモザイク画はビザンチン文化の代表、
高校の世界史の教科書に必ず出てきます。
教えていた時にはまさか来ることができるとは思っていませんでした。
10年以上前、わたしがまだ日本にいた頃、
NHKラジオのイタリア語講座で
「イタリア美術散歩」という特集が組まれ、
聴きながらいつも、行ってみたいもんだなあ、と思っていました。
その時のテキストをこちらに持ってきていたので、
それが役に立ちました。
でも友人Fのコラムを読んでおけばもっとよかった~。
詳しいです。悔しいです。
何度も何度も写真で見たユスティニアヌス帝はやっぱりとても神々しくて、
想像していた通りに美しかったです。
神々しいという表現は正しいのだろうな、だって教会の壁画だもん。
6世紀ですから遠近がまだ表現されておらず、
みんな一並びで妙な印象を受け、一層心に残ります。
東ローマ皇帝ユスティニアヌスは
ゲルマン民族が旧西ローマ帝国内に占領して建てた王国を次々と滅ぼし、
かつて西ローマ帝国の都であったラヴェンナを奪い、
ここに532年に聖堂の建設を始めます。
これがサン・ヴィターレ大聖堂です。
壁画の中央は黄金の聖体皿を捧げようとしているユスティニアヌス帝。
彼は実際には547年の落成式には参加しませんでした。
皇帝のすぐ右隣ですが奥に見えるのが
教会建設の出資者ユリウス・アルゲンタリウス、
そしてその隣で豪華な服を着ているのが、
献堂したマクシミアヌス大司教です。
向かいにあるのは
ユスティニアヌス帝の妃テオドラの一行です。
東ローマ帝国の首都はコンスタンティノープル、
現在のイスタンブールですが、
テオドラはここ出身の踊り子だったと言われています。
当時の貴人のこういった儀式での衣装がどうだったかよく分かります。
それにしてもこの教会、わたしたち2人に貸しきり状態でした。
たくさんの人に見てもらいたいなあ。
世界史の東ローマ帝国の項を思い出しながら…。
そこから同じ敷地内のガッラ・プラチーディア霊廟へ向かいます。
ユスティニアヌス帝の時代より100年とちょっと昔、
ローマ帝国が皇帝テオドシウスによって息子2人に分与されました。
これが東ローマ帝国と西ローマ帝国の由来です。
ラヴェンナは5世紀に入ってすぐ、この西ローマ帝国の首都となりました。
テオドシウス帝には国を分けた息子2人の他に、
ガラ・プラキディアという娘がありました。
兄の西ローマ皇帝ホノリウスの跡を
当時6歳だった自分の息子
ウァレンティニアウス3世に継がせようと画策、
摂政にまでなった猛女とされています。
彼女ガラ・プラキディア(イタリア語でガッラ・プラチーディア)が建てた
教会の一部が霊廟として残っています。
実際は彼女、ローマに埋葬されたそうで、お墓には誰も入っていません。
ここのモザイクはラヴェンナで一番古いそうです。
この日は修復が行われていました。
ガラ・プラキディアが支えた西ローマ帝国は
ゲルマン民族の大移動により滅亡、
ゲルマン民族の東ゴート王国テオドリック王は
ラヴェンナをやはり首都として選び、
都市として発展させます。
ゲルマン民族に支持されたキリスト教アリウス派の聖堂として、
彼が建てた教会が残っています。
ユスティニアヌス帝が入ってきた際に
カトリックのサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会となり、現在に至っています。
横に長いモザイク画は、
長い長い行列を組んでイエス・キリストのもとへ行進する
聖人、聖女、東方の三博士です。
当時のラヴェンナや近郊の港町クラッセから列は出発しており、
教会など町の様子も描かれています。
こちらは5世紀のネオニアーノ洗礼堂。
近くの大司教博物館には
先述したマクシミアヌス大司教の象牙の椅子があって、
一見の価値があります。
これら全ての史跡の入場は共通券になっていて9,50ユーロ。
友人Fのコラムを読まなかったために(しつこい?)、
無料で見られるテオドリック王のアリウス派洗礼堂に
行きそびれてしまいましたが、
1500年前のこの町の栄華を垣間見ることができ、
ラヴェンナに来られたことを幸せに思うわたしでした。