|
テーマ:JR福知山線脱線事故(3)
カテゴリ:鉄道
今日4月25日は、兵庫県尼崎市のJR福知山線で
快速列車の脱線転覆事故が発生、 乗客・運転士107名もの尊い命が奪われ大惨事になった日です。 時の流れは早く、もう7年になりました。 2005年4月25日の朝10時ごろ、 勤務先で「尼崎-塚口間で上り快速電車が、 カーブを曲がりきれず脱線転覆……」という事故の第一報を聞いたとき、 僕はすかさず、「あ! あのカーブだ!」と心の中で叫びました。 大阪時代、沿線在住ではなかったものの、 父親の実家へ汽車で里帰りする場合のルートだった福知山線は、 僕にとっては懐かしい路線の1つです。 当時、例の事故現場付近では、 事故時に列車が激突したマンションの建っている場所が 尼崎駅へ進入する上り線の線路でした。 尼崎駅から大回りして東海道線をオーバークロスし、 急カーブで合流してくる下り線と分かれ、 そのままほぼ直進して尼崎駅の構内に入っていたのです。 その頃の福知山線は電化もされておらず、 1時間に1本程度のサイクルで、 客車列車やディーゼルカーがのどかにトコトコと レールの継ぎ目を刻んでいました。 それが国鉄末期に電化され、 JRになってからJR東西線の開通にともなって 尼崎駅構内の配線を大幅に変更するために 上り線も下り線に沿うように付け替えられ、 東海道線をオーバークロスする線形に変わりました。 そのときに例の急カーブが誕生したのです。 1970年代の、まるで時代から取り残されたように 都会のど真ん中を古びた客車がのどかに走る光景を憶えているだけに、 事故当時の殺伐とした運転状況が信じられませんでした。 僕は本州のJR3社の中で、一番経営的に厳しいJR西日本を応援していただけに、 この事故の報に接して、とても残念に感じたことを 昨日のことのように思い出します。 一時は経営が危ぶまれたJR西日本ですが、 昨年全線開通した九州新幹線との直通運転で 山陽新幹線の利用客が大幅に増えており、 業績にも好影響を与えているのは好ましい限り。 二度と7年前のような事故を起こすことはないでしょうが、 安全を維持しつつ、ますます発展して欲しい鉄道会社です。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月25日 23時52分09秒
コメント(0) | コメントを書く
[鉄道] カテゴリの最新記事
|
|