同じ場所にいない相手には
例のメッセージは、骨抜き日本人の一人である私にも幾らかの心強さを与えてくれた。襲撃のあった時間に現場に集まった人達から拍手が起こるという光景も、自由と権利の国の民であるという彼らの誇りと強さを感じさせ、胸を打った。メッセージの発信者のインタビューで、確か、一杯酌み交わしながら、映画や音楽の話をしたりすることを続ける、とか、憎しみよりそちらを選ぶ、というようなことを語っていたと思うが、私はそこに何か虚しさを感じた。皆さんが感動している時に水を差すようだが…いえ、そうして日常を保つことは強さを必要とすることで、簡単なことではないだろう。だからこそ、その人もそうあろうとしているわけだし、私のような弱虫にはまねできないことである。ただ…襲撃者、おそらく同じ国で育った若者もいるのだろうけれど、彼らはそこで育ちながらも、一杯酌み交わしながら芸術や愛を語ることが素晴らしいものだと知ることがなかったのだろう。そのことを知ることすら出来ない者に対して、このメッセージは響かないような気がしたのだ。価値観を共有しない者に対しては、どんなに感動的な言葉も伝わらないだろう。私達日本人は、おかげさまで先進国ということになっている国にいて、同様の楽しみを感じることができるのでメッセージにも心を打たれるのだが、この幼子を遺された男性の悲しみと愛の強さが相手に対して何も伝わらず、何の効果もないのだとしたら、恐ろしいことだ。