体験から学ぶよさ
わが研究会の今日のブログからです。臨場感があってその場にすっと引き込まれました。投稿仲間と同じで登場する親子の関わり方に歓声をあげながら私も同じ電車に乗っているような気持ちになりました。以下は抜粋ドアの閉まりかけた電車に駆け込み乗車をしてきた若い男の人がいました。彼は案の定、ドアに挟まれました。再度ドアが開き、電車に乗り込み、何事もなかったかのような顔をして隣の車両へと歩いていってしまいました。 私は心の中で「あの人恥ずかしかっただろうな~」とニヤッとしてしまった時、私の隣に座っていた幼稚園生くらいの男の子が「あの人 大丈夫かな~ 痛くなかったかな~」とと本当に心配をしている声でお母さんに話しかけ、彼が隣の車両に移るまでずっと心配そうな視線を送っていました。 ニヤっとしてしまった自分をなんとなく恥ずかしく思いました。 その後もその子はお母さんに、昨日読んでもらった本が面白くて先が気になっていること、幼稚園での出来事、などたくさんお話をしていました。 お母さんと男の子の話す分量は 1:9 くらいで、圧倒的に男の子が話している時間が長いのです。お母さんは男の子の話に「そうなんだ」「それでどうしたの?」「それは楽しみだね」「そうだったんだ」と相づちを打ったり、話を促したりしているだけなのです。「聞く」という行為に徹しているように感じました。 会話が進む中、男の子が「お外ではわからなくなるのに、おうちの中ではわからなくならないのが不思議だね」と言い出しました。隣で聞いていた私は「それってなぞなぞ?」と聞きたい衝動にかられたのですが、その子のお母さんはこの続きは共育コーチング研究会リレーブログから