村上春樹訳「グレート・ギャツビー」中央公論新社刊・比較読み
私:村上春樹氏が若い頃より愛読していたスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を氏が訳して昨年11月に出版したね。A氏:君の日記にあったね。 君の村上春樹の知的街道はチャンドラー街道から別れてきているね。 「国家の品格」ともつながったね。私:ちゃんと読んだのは「アフターダーク」だけだけれどもね。 今度、この村上氏の訳を購入したよ。 3千円近い豪華版があったが、820円のほうにした。 この本は、図書館でちょっと調べたら下記の題名ですでに多くの翻訳書があるね。1974 華麗なるギャツビー 橋本福夫1974 華麗なるギャツビー 佐藤亮一1974 グレート・ギャツビー 野崎孝1989 グレート・ギャツビー 野崎孝1990 華麗なるギャツビー 大貫三郎1994 偉大なギャツビー 野崎孝A氏:村上氏は自分なりの翻訳をしたかったのだろうね。私:60歳になったら翻訳すると公言していたそうだが、その前に待ちきれず、前倒しして訳したらしい。 この後、チャンドラーの「ロンググットバイ・長いお別れ」の同氏の翻訳本が3月に出版される予定だね。 待ち遠しいね。 ところで、俺の知的興味が湧いたのは、村上氏の「グレート・ギャツビー」訳がすでに訳されている人のものとどう違うかだよ。A氏:なるほど、面白そうだね。私:しかし、上記の6冊と、それに英文を比較していたら、大論文になり、くたくたになるね。 それは物好きな学生の卒業論文にまかせ、出だしの数行を比較することにした。 まず、図書館で上の2行目の佐藤訳「華麗なギャツビー」を借りた。 原書のほうはペーパーブックで千円ほどなので買ったよ。A氏:訳はかなり違うかね?私:もとの英語は同じだから、そう大きく変わっている点はないように思う。 原文の出だしの10行くらいを比較読みして、知的興味を満足させようと思う。 8つにわけて比較する。1.In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.佐藤訳:私がまだ若く、いまより心が傷つきやすかったころ、父が私に忠告してくれたことがある。それ以来そのことが心から去らない。村上訳:僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。私:佐藤訳はすっきりしているね。 村上訳は文体が工夫されていて、あるムードを起こすような感じがするね。 「私」と「僕」、「父」と「父親」が違うね。 「父親」というと威厳を感ずるね。 それから、「心が傷つきやすい」は、「影響を受けやすい」のほうが、次の父親の忠告の内容はほめているんだから適切ではないかと思うがね。2.“Whenever you feel like criticizing anyone,” he told me,佐藤訳「だれとは限らないが、他人のことをかれこれと言いたい気持ちになったときは」と父は言った。村上訳「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。私:佐藤訳は原文に忠実に文を切っているね。 村上氏は意訳。3.“just remember that all the people in this world haven’t had the advantage that you’ve had.”佐藤訳「世の中は、お前と同じような長所を持った人間ばかりではないということを、よく覚えておくことだよ。」村上訳「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」私:村上訳はなんで「と」が最後にあるんだろう。「と」をカギ括弧の外に出すべきだろうね。A氏:第一頁に致命的な校正ミスだね。4.He didn’t say any more, but we’ve always been unusually communicative in a reserved way, 佐藤訳:父はそれ以上は言わなかった。しかし私たちはあまり口数を多く語り合わなくても、いつも相手の言う意味がよくわかっていた。村上訳:父はそれ以上の細かい説明をしてくれなかったけれど、僕と父のあいだにはいつも、多くを語らずとも何につけ人並み以上にわかりあえるところがあった。私:村上氏の訳のほうが親切だね。5.and I understood that he meant a great deal more than that.村上訳:だから、そこにはきっと見かけよりずっと深い意味が込められているのだろうという察しはついた。私:この部分は佐藤氏は訳していないで、とばしているね。 何故だろう?6.In consequence, I’m inclined to reserve all judgments, a habit that has opened up many curious natures to me 佐藤訳:そのために、私はすべて判断は控えめにするにようになったが、この習慣のおかげで、ずいぶん変わった性格にもお目にかかったし、村上訳:おかげで僕は、何ごとによらずものごとをすぐに決めつけないという傾向を身につけてしまった。そのような習性は僕のまわりに、一風変わった性格の人々を数多く招き寄せることになったし、私:村上訳のほうはちょっと語句が長いが、分かりやすいね。7.and also made me the victim of not a few veteran bores.佐藤訳:また少なからず海千山千のうんざりする人間にお目にかからざるを得ない羽目にも陥った。村上訳:また往々にして、僕を退屈きわまりない人々のかっこうの餌食にもした。私:「海千山千」は意訳に近いが古い言葉かもしれないね。8.The abnormal mind is quick to detect and attach itself to this quality when it appears in a normal person,佐藤訳:普通の人間のなかに私のような性格の持ち主がいるとなると、異常な精神の持ち主はすぐにそれを見つけて、愛着を感じて寄って来る。村上訳:このような資質があたりまえの人間に見受けられると、あたりまえとは言いがたい魂の持ち主はすかさず嗅ぎつけて近寄ってくるのである。私:「愛着」よりも「嗅ぎつけて」のほうがピッタリするね。 mindを「精神の持ち主」とか「魂の持ち主」としているが、ちょっと重い感じだね。 「変わった性格の人間」、「風変わりな奴」でもいいような気がするね。 これで比較読みは終わり。A氏:ご苦労さん。私:後、野崎孝氏の訳との比較をちょっとしてみたいが、これから少しずつ村上訳に集中して読むことにする。