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カテゴリ:子供を亡くした親
昨日は次女にせがまれて近くのアピタに買い物に行きました。
目的はバレンタインチョコの材料の調達です。次女は今年珍しく(初めて)手作りのチョコを作ろうと思ったのだそうです(*'▽') いつもは市販のチョコだけですが、どういう風の吹き回しかわかりませんが。来年は国家試験がこの時期にあるので当然作る余裕がないからだそうです。それで私を連れだしたのは材料の相談という名目で、実はお会計の為です。わかっていながらつい甘え上手な次女の策略にハマる、親バカな私です・・・(;'∀') 家に戻ると次女は「ママも手伝ってよ」と甘えてきましたが、これは断りました。我が家にはケーキやクッキーが焼けるオーブンレンジが1階のキッチンに2台ありますが、2階には温め専用の電子レンジしかありません。だから当然ですが1階のキッチンに行かなくてはならないからです。そこにはいつも義父がいるからです。 仕方なく次女は1階で一人で作り始めましたが、暫くして「おじいちゃんは自分の部屋に行っちゃったからシフォンケーキの作り方だけでも教えてよ」と呼びに来ました。仕方なくシフォンケーキの作り方だけ次女に教えてあげました。シフォンケーキは誰にでも出来る簡単なケーキですが、ほんの少しだけメレンゲにコツがあります。それをすれば綺麗に膨らんで失敗はしません。次女に教えながら、私は昔のことを思い出し涙が出そうなのを必死でこらえました・・・ 今はもうお菓子作りは一切しなくなりましたが、昔さえりんと次女が小さいときにはよく一緒に作りました。私もあまり得意な方ではありませんが、小さい頃から母娘でお菓子作りをするのが夢だったからです。私の母はずっとフルタイムで仕事をしていて一緒にお菓子を作る余裕なんてなかったからです。祖母はお菓子なんて作れなかったし、友達がお母さんと一緒にクッキーやケーキを作るのが羨ましかったのです。 だから自分の娘が生まれたら絶対に母娘でお菓子作りがしたいと夢見ていたんです。 さえりんはお菓子作りが大好きになりました!!よく一緒にメロンパンやロールパン、クッキー、チーズケーキ、焼きプリン、おこしものなどを作りました。中学生になってからさえりんはイチゴのレアチーズケーキの作り方を学校で覚えてきて自分で作ってくれました。私は家族にシフォンケーキを焼きました。20センチの大きな型で大きなシフォンケーキを焼くと半分以上はさえりんが美味しそうに食べてくれました(^.^)私は自分は作るだけで、家族が美味しそうに食べてくれることが一番の喜びで幸せでした!! さえりん亡きあと一度だけ大きなシフォンケーキを焼きましたが、半分以上残ってしまい捨てました。悲しくて切なくなりました。美味しそうに食べてくれる人がいないと作り甲斐がありません(´;ω;`)ウッ…それで、もう作らないと決めていたのです。 ところが、今頃になって今まではあまりお菓子作りにも興味を示さなかった次女が作りたいと言ってきて、一緒に1階のキッチンに一緒に立っていたらまるであの頃のさえりんと一緒に作っていた時にタイムスリップしたような気持ちになりました。あの頃に戻れたらどんなに幸せでしょうか。でも、もう紗愛理はここにはいないんです(>_<) 昨日次女は1階のキッチンで2階にある道具や材料を取りに来て何度も行き来しながら4種類のケーキとチョコレートとクッキーなどを作りました。今日大学へ持って行き友達と彼氏に渡すんだと張り切っていました!!私はそんな次女の姿を微笑ましく見ながら、昔、さえりんが大好きな男の子のお友達によくバレンタインチョコを手作りしていたことを思い出し、また心がちくっと切なく痛みました。 (さえりん14歳 キッザニア甲子園part1) さえりんは素直で屈託のない真っ直ぐな性格で、いつも素直に感謝の気持ちを込めてチョコを作りました。大きなお盆3つ分くらいいっぱいに可愛いハートや星の形の型に流し込んだチョコレートを作って、家族や職場の人や仲良しのお友達に、可愛くラッピングして配っていました。 2019年2月の最後のバレンタインデーの時もそうでした。 男性の店長さんには、可愛いチョコにデコペンで「あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す」と一文字ずつ書いて10個を可愛い箱に入れて、女性社員さんパートさんたちにはチョコを5、6個ずつ可愛い袋に入れて職場の方全員に渡していました。よく叱られるとっても苦手なパートさんにあげようかやめようか悩んで私に相談しました。私は紗愛理に「『もし良かったらどうぞ』と渡してみて、もし受け取ってもらえなかったら、お家へ持って帰っておいでママが食べてあげるから」というと紗愛理は涙を浮かべて「ママありがとう♡」と私に抱き着いてきました。 そして、当日職場から帰った紗愛理は嬉しそうにこう言いました。「○○さんが、『ありがとう』といってもらってくれたんだよ!!ママのお蔭だよ!!ありがとう♡」と。 実はそれ以前からさえりんは職場の人間関係に悩んでいました。人の心を察することが苦手な特徴を持つ紗愛理は空気の読めない子に映るのでしょう、きっと。それで一人浮いてしまうのです。紗愛理はそんな悩みを抱えながらそれでも、職場の方々を仲良くしたくて必死であの子なりに努力していたのです。バレンタインチョコもその一つで、何とか職場の皆さんと仲良くなりたくて紗愛理の健気な努力だったのです。 でも、やっぱりうまくいかなくて、3月にとうとう私に言いました。「ママ、私もう辛くて(>_<)仕事辞めてもいい??」と。でも私はこう言いました。「仕事辞めるのはいつでもできるからもうちょっと頑張って、就労支援の方に職場との間に入ってもらうように一緒に相談に行こう。それでもうまくいかなかったらその時は辞めて、新しい仕事を一緒に探そうね」と。素直な紗愛理は「うん、わかった。もう少し頑張ってみるよ」と涙目で言いました。その後紗愛理と一緒に就労支援の方に相談に行き、職場との間に入って下さるようお願いしてきました。私はきっとこれでうまくいく、紗愛理の努力はいずれ報われて、奇跡は起きる日は来るんだと信じました。 ところが、そんな矢先に起きてしまったのは奇跡ではなく悲劇だったんです!! 私は紗愛理が亡くなってから、深く深く苦しい後悔をしました(>_<) あの時、どうして紗愛理をすぐに辞めさせてやらなかったんだろうか?? もしも、紗愛理があの職場を5月末で辞めていたら、あの日あんな横断歩道は通ることも無く、紗愛理は今も生きていたのではないか??紗愛理は職は失ったかもしれないけれど、きっと命を喪うことはなかったのではないだろうか??今も幸せな我が家の暮らしを奪われることなく、紗愛理の笑顔を見ながら幸せだったのではないだろうか??もしかしたら、あの時仕事を辞めさせなかった私が紗愛理を殺してしまったのではないだろうか???????? 昨日は、次女がバレンタインチョコを作る姿が、あの日の紗愛理の姿と重なり、封印しようとしていた私の深い深い後悔が蘇ってしまったのです・・・(>_<) 切なくて胸が苦しくなるのです。これはきっと一生消えることの無い心の痛みです。 後悔先に立たず・・・もうどんなに後悔しても遅いんです・・・ 外は雨音が強くなってきて、私は頭痛がしてきました(´;ω;`)ウッ… いつも温かいコメントありがとうございます さえママへのメールはこちらから にほんブログ村、応援おねがいします!! この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、 交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!! さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村 さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!! さえりん動画はこちら にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。 https://www.instagram.com/aichinijiirokai/ 会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。 よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗ https://lit.link/aichinijiirokai お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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