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みかんの木を育てる-四季の変化

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2023年03月05日
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カテゴリ:生き方

​山口義夫さんの訃報​

当方は八王子と小田原の二重生活でして、たまった新聞を見逃すことがあります。
知らせを受けて、たまっていた新聞のなかで、見逃していたんですね。

2月23日に山口義夫さん(92歳)が亡くなられたと、
その訃報記事が2月26日付に掲載されてたんですね。




山口義夫さんは、日本共産党の書記局長・金子満廣衆議院議員の地元秘書だったんです。
その訃報の知らせを知って、当時の関係者に連絡しようとしたんですが。
残念ながら、もはや関係者はほとんどがこの世にいないんですね。

山口さんは、共同映画の社長も務めた方で、親子映画を全国に広げた方なんです。
民俗芸能や日本文化に詳しくて、下町文化を大事にしてた人なんですね。
金子満廣さんは、1958年11月民主主義擁護群馬県民連合の事務局を取りまとめた国鉄マンです。
共産党の綱領に統一戦線政策が盛られる時に、沖縄・高知・群馬は、その実践例となってたんですね。

その金子さんが群馬県から上京して、共産党中央委員会に勤務して全国の平和・統一戦線運動を担当する。その一方、東京8区(文京・中央・台東)の衆議院候補者になったんですね。
その地元秘書となったのが山口義夫さんだったんです。

日本共産党が地域に根差すよう努力することですが。
大江戸の下町文化というか、江戸時代からの日本の伝統芸能と日本共産党とを結びつけること、下町の庶民の代表として、金子満廣さんが代議士として活動できるように。
そのことは金子さんの共産党衆議院議員として活動の舞台をつくることだけじゃないんです。
金子さんは、日本の統一戦線運動、安保共闘、反核平和運動、さらにはベトナム人民支援の反帝国際統一戦線、中ソ共産党の覇権同士のおかしな中にあって、日本共産党の綱領路線、自主独立の立場を切りひらく仕事でもあったんです。その活動を地元から土台として支えた柱の一人が山口さんだったんです。
だいたい、道理あることを言っても、それが衆議院議員がいうのと、一人の私人が言うのとでは、受けとめられる重みが、同じ発言であっても、その重みが違ってくるじゃないですか。

まして、東京8区の文京・中央・台東といったら、権力の中心的位置してますから。本来なら歴史的に保守的な基盤がガッチリしているところなんです。そうした地域の中で、道理をもって、日本共産党が下町住人と交歓ゆく実践的な姿をつくってきたのが、その地域の共産党の組織であり後援会の努力であって、そこに金子・山口という代表の人柄が、それにくわわって共鳴しあったんですね。

いまから40年余前になることですから。
当時の関係者は多くが亡くなり、私などの記憶も妖しくなってきてるんですが。それでも、なるべく、その努力に立ち会った一員としては、いたずらに消えていくのを傍観するんじゃなくて、今という状況があることを開いてきた努力ですから、現在が努力しているところの本質な事柄ですから。
少しであっても、故人たちを知るものとして、その苦労した、ありし日の姿を追悼したいと思って、今聞いたばかりの訃報ですが、思いつくままに思い出を紹介させていただきました。








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Last updated  2023年03月05日 18時32分37秒
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Re:見逃していた訃報-人間はいつかは、あの世に行くものですが(03/05)   太田晴夫 さん
金子さんの演説のフレーズ、いいなと思った。
路地裏から世界まで
明日の天気は変えられないが、明日の政治は変えられる。 (2023年03月05日 23時10分42秒)

Re[1]:見逃していた訃報-人間はいつかは、あの世に行くものですが(03/05)   はなたちばな3385 さん
太田晴夫さんへ
まわりを見たら、皆あの世に行っちゃってて。
何も無いままより、多少となり今日に役立ちそうなことを、
紹介してやるということですね。
(2023年03月06日 22時11分30秒)

Re:見逃していた訃報-人間はいつかは、あの世に行くものですが(03/05)   山口太一 さん
ありがとうございます。
父の活動履歴をこんな風に紹介して下さるなんて、感激です。
母の弟(叔父)の一周忌が
先月あり、その息子さん(私の従兄弟)から
こんなブログがあると教えていただきました。弟は(これは元秘書の橘田さんという方に違いない)と申しておりました。 (2023年11月20日 00時07分20秒)

Re[1]:見逃していた訃報-人間はいつかは、あの世に行くものですが(03/05)   はなたちばな3385 さん
山口太一さんへ

コメントをありがとうございます。
こまかな記憶は薄れますが、地域から帰って、金子さんと麺類をゆでてすすっていたこと。大山阿夫利人社の酒まつりに、主催者の小生夢坊さんや宮司の方たちと楽しそうに歓談されていたこと、三社祭では鳥越などの知り合いの方の縁側でさまざまな歓談をされていたこと。ありし日の姿は、今の日々の出来事のなかに、より鮮明になっ甦ってきます。もし二人が生きていたら、ロシアのウクライナ侵略戦争に、イスラエルのパレスチナ人虐殺に、反核平和の世界の連帯に、どの様な対処していたでしょうかね。だけどその精神は現在に、より発展した姿で展開されていますから、あの世で一杯飲みながら、下界の様子を注視していることでしょうね。その精神は生きているということですね。 (2023年11月20日 07時30分56秒)


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