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カテゴリ:ちょっとおでかけ
皆様、三連休はどのように過ごされたでしょうか? お休みでなかった皆様、ごめんなさい。 昨日の月曜日は、三連休明けで、しかも、消費税増税直前ということもあってか、たくさんのご注文をいただいて、忙しかったですね。 嬉しい悲鳴、なんて言葉もありますが、こういう風に急激に忙しくなると、メーカーとしてはかなり微妙で、「うれしい悲鳴」という感じでもありません。 回答する納期もどんどん長くなっていくし、工場スタッフも残業になってくるし・・・。 今の世の中、短期的に大金を稼いで、なんて時代じゃないですからね。 派手さはなくとも、しっかりと長い仕事が続けられるのが一番です。 ということで、4月になれば多少落ち着いてくれることを願っております。 さて、本題の「吹屋の西江邸」の話。 吹屋というのは、岡山県北西部の山間の町で、かつては「べんがら」で栄えていました。 べんがらというのは、酸化鉄=赤色の顔料です。 朝8時に廿日市の家を出て、10時過ぎに着いたのが「西江邸」。 西江家は、代々、この地域で、庄屋兼代官を務めてきた家で、住居部分に併設して、簡易のお白洲があったり、手習い場があったり、地域の備蓄用の倉があったりする、大きな邸宅です。 冒頭の写真は、坂道を登っていった先にある「西江家」。 右側にあるのが「蔵」で、左側が邸宅部分、奥が代官所的な公な部分となっています。 道路の右側には、立派な梅林があるのですが、残念ながら、まだ咲いていませんでした。 ただ、なんといっても特徴的なのが、今なお当主の方がお住まいになっていること。 この日は天気が悪く、来訪者は私たち夫婦だけでしたが、いろいろとご説明いただきました。 代官所スペースは、続き間となっております。 代官所といっても、民間委託なのですが、それでも、この地域の司法権を与えられていたとのこと。 高い天井の吹き抜けの居間。 黒光りする柱や木壁は、べんがらと柿渋を混ぜて塗っているそうです。 住居に併設された、手習い所。 壁にかかる「福」という書は、備中の聖人といわれる、山田方谷の6歳の時のものだそうです。 江戸時代には、この付近の子供たちがここに読み書きを習いに来ていたとのこと。 江戸末期の日本人の識字率が40%以上。 当時、ヨーロッパでも10%程度であったことを考えれば、日本人がどれだけ教育に力を入れていたか分かります。 日本においては、封建時代においても、「支配者-被支配者」「搾取する者-搾取されるもの」という単純な構造では決して語れません。 支配するためだけなら、教育などない方がいいわけです。 明治維新の日本の原動力というのは、上から下まで、日本という国の危機感を共有できたことが大きいように思います。 「そういう時代があって、今の日本があるということを知らないといけませんね。」 と西江家の奥様。 そのために、この古い家を残さないといけない、と思われたそうです。 西江邸は今も当主の方が住まれていると書きましたが、べんがら色のきれいな着物を召された奥様に、いろいろと興味深いお話を伺いました。 もし、吹屋に行かれる際には、ぜひどうぞ。 観る人が見れば、驚くという鬼瓦。 名もなき江戸時代の職人の作ったなまこ壁。 最後に、西江家の奥様と、うちの奥様の記念撮影。 本日は、このへんで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014/03/25 12:57:34 PM
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