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カテゴリ:日本のこと 世界のこと
週末をまたいでの話で恐縮ですが、5月27日(金)の夕方、オバマ大統領が広島にやってきました。 テレビでも繰り返し放送され、おそらく日本中の人がそのシーンを見たと思います。 私がオバマの演説を聞いたのは、その日の夜のニュースになりますが、正直、なんだか、うるうるっときちゃいましたね。 年を取ると涙もろくなってきますので、そのせいもあるのでしょうが、想像した以上に踏み込んだ、感情のこもった内容であったと感じました。 これで核兵器がなくなるとは思いません。 オバマも、私が生きている間に無くすことは難しいと言っていましたが、国家同士が争っている限り、他よりも優れた武器を持ちたいと思うのが人間です。 そう簡単に放棄できるものではありません。 戦争のある限り、核兵器はなくならないでしょう。 オバマも言っていたとおり、科学の進歩は、人類そのものに大きな恩恵と、滅亡の危機を同時に与えてしまいました。 科学の進歩は、モラルの進歩を伴わなければ、人類そのものを滅ぼす、というのはまぎれもない事実でしょう。 武器のない時代には、殴り合って決着をつけねばなりませんので、人を一人殴り倒すために、相当の傷を自分自身も追わざるを得ません。 それから、棒や石のような単純な武器から始まり、刃物が生まれ、鉄砲が生まれ、大砲が生まれ、爆弾が生まれ・・・。 結局、どれだけ少ない労力で、どれだけ多くの損害を相手に与えるかという競争を繰り広げてきました。 そして、行き着いた先が核兵器です。 「核兵器をなくすこと」そのものは目的ではなく、人間同士が殺しあう「戦争」というものをなくさない限り、核兵器もなくなりません。 オバマの演説の中で、私が泣けてしまったのは、「1945年8月6日のあの日、今の私たちと何ら変わらない暮らしが、ここにもあった」というくだりです。 やっぱり、大事なのは、そいう視点だと思うのです。 戦争というものが、人間として持つべき、幸福を希求する権利を奪うものであるということ。 戦争のない世界=核のない世界 であって、核がなくなろうと、戦争がある限りは悲劇はいつまでも続きます。 逆に、核兵器が生まれたからこそ、人類は、その叡智でもって、戦争を回避するすべを見出していかねばならなくなったとも言えますね。 被爆者の方が、オバマと抱擁しながら泣いていたというシーンも印象的でした。 これまでの長い人生の苦労や、被爆したあの日の事や、いろんな思いが込み上げてこられたのでしょう。 被爆者と直接話がでくきるのもあとわずかだが、その記憶は残していかねばならないといった趣旨の内容もありましたね。 被爆者の方にも、複雑な思いがいっぱいあったと思いますが、オバマが広島に来たことで、自分たちの悲惨な体験が、世界への悲惨な体験になっていくことを実感されたのかもしれません。 被爆者の方の過去の悲惨な体験が、これからの世界の糧になっていくという大きな意味をもった瞬間でもありました。 これから試されているのは、今を生きている私たち、ひとりひとりなのでしょう。 今回のオバマ大統領の広島訪問で、そんなことを感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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