|
テーマ:児童虐待(213)
カテゴリ:児童虐待
千葉県船橋市にある「恩寵園」は、1946年、戦災孤児のための施設として 兵舎の払い下げを受け、開設しました。1952年に社会福祉法人の認可を受け、 現在児童定員70名の児童養護施設です。児童養護施設とは、「保護者のない 児童、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童(乳児を除く)を 入所させ、これを養護する施設(児童福祉法第41条)」です。 ところが、子どもを養護すべき児童養護施設「恩寵園」では、長い間児童 虐待が行われていました。大濱浩園長は、「体罰は、創立以来の伝統」と公 言するなど、児童福祉を食い物にしてきました。子どもたちの証言によれば、 「ビンタ、ケリは当たり前」と日常的に暴力にさらされていました。 さらに、「子どもを乾燥機に入れ回した」「子どもを裸にして池に浸けた」 「子どもが手に持っているティッシュに火をつけた」 「死んだ鶏をベッドに入れ、一緒に寝かせた」 「子どものペニスにハサミをあて、血を流した」 「24時間正座させ、トイレに行かせなかった」 「子どもに首輪をつけ、鎖につなぎ、床においたどんぶりからご飯を食べさせた」 「熱いお風呂に、子どもを無理矢理浸からせた」 「園児全員が見ている前で、子どもの足首に包丁をあて、血を流させた」 「高校生の女子の園児を、下着だけの姿で立たせた」 「子どもを麻袋に入れ吊した」など、数々の虐待を行ってきました。 子どもたちは、大濱浩園長の虐待について、もうどうしようもないことと諦めていました。 「ちくったら、園長に殺される。」というのが、皆の思いでした。 子どもたち同士で、「私たちって何のために生れてきたのだろう。 こうやっていじめられるために生れてきたのだろうか。 どうせ親に捨てられた子どもなんだから、しかたないのか。」と、よく話していました。 そして、大濱浩園長は、 「親を恨め。お前たちが苦労するのも、お前らを捨てた親が悪いんだ。」 とすべて親のせいにしようとしていました。 このように、大濱浩園長以下職員の虐待は常態化し、子供たちは、いつも怯えて生活 していました。それでも、子供の側にたち、子供たちを守ろうとする職員も一部にいました。 1995年8月、児童相談所に匿名の電話がありました。 その内容は、「千葉恩寵園で児童虐待が行われている」というものでした。 千葉県及び児童相談所は、調査の結果、虐待の事実を確認し、同年10月に千葉恩寵園に対し、 児童相談所及び県児童家庭課が指導しました。 しかし、大濱浩園長に対する処罰はありませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.11.15 11:00:02
コメント(0) | コメントを書く
[児童虐待] カテゴリの最新記事
|