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カテゴリ:道関係
昨日は未明の雨がドカ雪になり、凄まじい状況になりました。 ドカ雪では、塩カルを撒いても効果が薄く、久し振りの除雪作業。 写真は委託を受けているNさんの除雪風景。 天辻の上の方の除雪が済んでいない段階での私の出勤、スタッドレスの効果が薄くなったマイカーは、オケツを振り振り、恐い想いでの登板になりました。 昼からは、春のような暖かさになり、ドカ雪も、見る見るうちに溶けていきました。 こうして、段々春になっていくんですね~! 3月の予報では、平年並みかそれ以上とのことなので、春の訪れが余計に楽しみ!
26日の日曜日、「弘法大師 吉野・高野の道」シンポジウムに行ってきました。
このプロジェクトの中心になられている吉野 金剛峯寺執行長の 田中利典さん、高野山金剛峯寺教学部長の村上保壽さん、橿原考古学研究所所長の菅谷文則さんのご三人でのシンポジウム。 さすが、このくらいの人達だと、お話されている内容がすばらしい。 普段、お寺で聞くお話とはレベルが違うような感じ! このシンポ、例のICレコーダーでバッチリ録音していますので、ジックリ分析したいと思いますが、その詳しい分析結果は後日報告ということで、今日は、弘法大師の道がどうなったのかの報告だけに致します。
春秋に開かれる佛心寺の教会法要に来て下さる世尊寺が出発点だというお話にビックリ。 このお寺、何度か名前が変わっているようで、昔は比曽寺といって有名なお寺だったらしい。 この道の事が書かれている「性霊集」という、空海の事を書いた詩文集によると「少年の日に吉野山から1日南行し、さらに西に2日間歩いて高野山に至った」と書かれています。 吉野山から大峰奥駈道を南下し、大天井ケ岳というところで、方向を西にとり、洞川付近に至る。 この辺までが1日目、今、歩くとしたら、1泊目は大天井ケ岳手前の「二蔵宿小屋(にそうのしゅくごや)」に泊まるか、洞川まで下りて泊まればいい。 二日目は扇形山から西吉野町と天川村の境界稜線を辿り、天狗倉山、高城山を経由し、天辻そばの乗鞍岳から富貴辻に出る。 この辺が二日目の宿泊地になるので、少し下りて星の国に泊まるのがいい。 最終日は、富貴辻から大日山を通り、損保谷奥の出屋敷峠に向かう。 この稜線は阪本区所有の造林地との境界になるところ。 出屋敷峠から、更に稜線を進み、野迫川村の今井峠、天狗木峠に至り、そこから最終の高野山というのが、今回決まった弘法大師のルート。 こうして歩いてきた稜線は、吉野川と熊野川を分ける分水嶺でもあるのですが、これが、このルートを決めた重要なポイントでもあります。 この辺の詳しいお話、今、シンポのお話を詳しく調べたりしていますので、後日、色々肉付けしてから、第二弾としてご報告致しますので、お楽しみにして下さい。 今日は、この辺で~! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年03月01日 16時21分32秒
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