高橋由一から黒田清輝へ
栃木県立美術館の企画展 高橋由一から黒田清輝へを観てきました。明治時代に日本の洋画壇を切り開き「近代洋画の父」と言われた高橋由一と黒田清輝。ちょうど入れ替わるように活躍した両名。本展は近代洋画における「二人の父」と、二人が活躍した時代を比較した世代交代劇を描いています。【高橋由一】高橋由一は日本に洋画壇の土台を気づいた人物です。高橋由一といえば「鮭図」が有名で、美術の教科書で見た方も多いのではないでしょうか。高橋の絵は食品や風景に関わるものが多いです。写実性の高い洋画の良さを伝えるため、生活の身近にあるものを題材にしたそうです。風景画についても「闇」を表現したものが見られます。日本画にはろうそくを描くなどして間接的に闇を表現しているものの、直接的な闇を描く技術はありませんでした。一方洋画は黒い絵の具を使って闇を描くことができます。当時は日常生活の中でろうそくや提灯を使うことが多く、高橋が描いたような闇が身近にありました。風景画の中に闇を取り入れることで、人々に受け入れられるよう配慮したと思われます。また、高橋は工事に関わる絵も多く描いています。当時は近代化を推し進めるために、各地でインフラ工事が行われていました。工事現場の記録に写真が使われていましたが、当時の写真に比べて洋画の方が鮮明で保存性が高かったそうです。そのためこうした分野でも高橋は積極的に洋画を使うことで、有効性を示そうとしていました。高橋の画業からは、洋画を日本に根付かせようとする努力を感じました。身近なものを題材にしたり洋画の有効性を示すことで、洋画が広まるように尽力しているようでした。【黒田清輝】黒田清輝はフランスで絵を学び、高橋由一が亡くなる前年に帰国しました。重厚な作風が特徴である高橋時代に対して、黒田時代の作風は明るい色合いが特徴です。これは黒田が絵を学んだ欧米で印象派や象徴主義が興っていたことが影響しているようです。洋画を広めるために努力をしていた高橋の時代に比べて、黒田の時代は画家の描きたいものをのびのびと描いているように感じました。とはいえ黒田たちも順風満帆であったわけではありませんでした。当時ヌードは欧米では普通でしたが、日本画壇では風紀を乱すとして厳しい取り締まりがありました。裸婦を描いた絵の下半身に布を巻いて展示することになった「腰巻き事件」なんてものもありました。そのため黒田の代表作「花野(パンフレット右上)」では裸婦を正面から描かず、下半身に布をかけるといった配慮がみられます。本展は近代洋画の二人の父にスポットを当てました。二人の父と言っても、その作風や時代には大きな違いが見られます。こうした対比について解説されているのが面白い企画展でした。本企画展は2024年6月16日まで開催です。美術館のホームページはこちら。よかったらクリックお願いします。にほんブログ村