カテゴリ:詩、俳句、短歌、川柳、都都逸等
お奨めの一冊 「旧暦はくらしの羅針盤」 (小林 弦彦著 日本放送出版協会)
昔日本では、時間が伸びたり縮んだりしたんです! えっ!? そんなバカな??・・・、江戸時代の話でしょ?そんな昔に、日本にもアインシュタインのような天才がいたんですか? ご存知アインシュタイン博士による相対性理論。絶対に変らぬものは光の速度だけで、時間は伸びたり縮んだりする。空間でさえ歪む。 まったく、理解不能な理論なんですがね。 江戸時代の時間の単位は、読んで字のごとく「時」(とき)。この「時」(とき)が、実は伸びたり縮んだりしたのです。 昔の人は、日の出とともに起き、日が沈むと活動をやめた。何しろ電気などというものがありませんからね。日が暮れたら、することといったら、だいたい寝るだけと言った方がいい。 そこで昼と夜とをそれぞれ六等分し、一日を十二分割して干支を割り振って時間を数えた。 春分の日と秋分の日ならば、昼と夜の時間が同じだから、一時(いっとき)は今の時間だと2時間。ところが、夏至だと日照時間が長いから、昼の時(とき)は、2時間より長くなります。その逆に冬至は、昼の時(とき)が短くなり、夜の時(とき)が長くなるというわけ。 当時の人の活動時間を明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)までと考えると、冬至では10時間56分ですが、夏至では15時間52分となりますから、同じ一時(いっとき)でも、夏至と冬至では50分余りの違いが生じることになります。 「春眠不覚暁」は、中国盛唐期を代表する詩人孟浩然の有名な五言絶句「春暁」の歌い出しの句ですが、これは夜が長い冬の生活に慣れた体が、春になって夜明けが早くなったことに対応できないでいる様を巧みに詠んだものですね。 また日本には、「お江戸日本橋七つ立ち~、初上り~♪」という有名な歌があります。 これは江戸から京へ行くのに、日本橋を明け六つ(午前6時ころ)前の七つ(午前4時ころ)に出立したことを歌っていますね。ですから、そのあとの歌詞を見ると、 「こちゃ高輪、夜明けてぇ~、提灯消すぅ~♪」 日本橋を提灯の明かりを頼りに出立して、品川の手前の高輪あたりで夜が明けたと言っているのです。日本橋から高輪まで夜道を約2時間かけて歩いたのでしょう。 恥ずかしながら、「旧暦はくらしの羅針盤」を読んで、この歌の意味がようやく分かりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年02月29日 11時45分05秒
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