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カテゴリ:本
今読んでいる本、浅田次郎著「憑神(つきがみ)」。
かの剣豪宮本武蔵は、「神仏は崇めるもの、頼るものではない」と言ったそうですが、逆に考えれば宮本武蔵ほどの人をしても神仏を頼もうとしてしまう、人の心の弱さをこれほど浮き彫りにした言葉はありません。 時は幕末。14代家茂が出陣先の大阪城で病を発し世を去って間もなくという混乱の時期。 七十俵五人扶持の御徒組の次男坊に生まれた別所彦四郎は、その文武に秀でた才能を買われて、実家とは比べようもない三百俵高の小十人組組頭の家に入り婿したものの、男子を儲けた途端に家を追い出されてしまう。 夜泣きそば一杯の小遣いもままならぬ厄介次男の身に戻ってしまった彦四郎は、ある夜草深い河原に朽ち果てた小さなお社を見つけてしまう。やがて立身出世し、ただただ親子三人の暮らしがしたいと願う彦四郎は、いささか不気味な祠ではあったが、「何とぞよろしゅう」と図らずも願を掛けてしまった。 するとどうしたことだろう、霊験あらたかにも神様が現れたではないか。 「重ねてお願いいたす。小十人組組頭の任官を掌るのは若年寄、そこまでとは申さぬが旗本を監察する御目付役まで、何とぞ一日も早う」という彦四郎。 大店の主の風情で現れたその憑神は、彦四郎に何とこう言ったのだ。 「手前は世を欺いてこんなたいそうななりをしているが、取り憑いて喜ばれるほどのものじゃござんせん。手前は、貧乏神でございますよ」と。 貧乏神に取り憑かれてしまった彦四郎、しかも彦四郎が願を掛けた祠は三巡(みめぐり)神社というではないか。貧乏神ばかりか疫病神、死神が巡ってくるというのだ。 はたして彦四郎は、三巡(みめぐり)の神とどのように渡り合おうというのか? そしてとことん運に見放されたように見えた彦四郎が、最後に示した武士の矜持とは? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年06月04日 14時51分57秒
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