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なんで できないの?
なんで やらないの? わっかんないなあ? 一つ また一つ言われるたびに棒倒しのまわりの砂を少しずつ でも確実に削り取られる気がする。 やっと自分なりにかき集めた砂が言われるたびに減っていく。 (自分を傷つけられるのは自分、という正論はいまは置いておく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
やめてしまえばいいんじゃないかな。砂で棒を支えようとしている事も必要ないんじゃないかな。そもそも棒を立たせる事なんて無意味じゃないかな。
貴方が貴方だと思っている棒も、棒が立っている事も、支える為に集めたその周りの砂も、貴方じゃないんだから。 (2012年03月19日 12時55分55秒)
气さんへ
>やめてしまえばいいんじゃないかな。砂で棒を支えようとしている事も必要ないんじゃないかな。そもそも棒を立たせる事なんて無意味じゃないかな。 > >貴方が貴方だと思っている棒も、棒が立っている事も、支える為に集めたその周りの砂も、貴方じゃないんだから。 コメントありがとうございます。气さんが書いてくださったこと、多分わかります。 自分では、、、 この砂は自己肯定感のようなものです。 自己否定に陥りがちな私が大丈夫な時に見つけた自分への「○」。 「すこしだけどアレができた」「前よりこれが出来るようになった」を元気なときに少しずつ集め、自分を支えてくれているものの一つ。 出来ていない、やれていないことを重々自覚しているから。「わかっているならやればいいじゃん」←ソレができていたらこんなのた打ち回らない。自分では調べたり工夫したりして前よりはよくなったとは思っているのに。 相手からすれば素朴な疑問として聞いている意味で使っているかもしれない「なんで」は私には責められているような、詰問されているように感じるのです。それが一日の中でなんどもあるとそれは「ボディ ブローのように効く」というより「削られる」。 今の自分を丸ごと受け入れられていれば自分以外の人からの言葉にダメージ食らわずにすむかと思うのですが現状はそうではなく。 (2012年03月19日 15時29分35秒)
おととし、お正月に「貴方が黒いと思っているモノは黒にあらず、痛みと思っているものは痛みにあらず。汚れたメガネを外せばほら、全ては輝いている。」と書き込みしていただいたのと少し通じているのかなと感じました。
ああ、、、この二つのコメントレスも上手く言葉を選べなくて書いては消し書いては直ししていました。气さん含め、読んでくださった人がいるならちゃんと伝わるかな、、、汗。 さっきまでは砂を削り取られると感じるならいっそコンクリートにして固めてしまいたい(ノ-o-)ノ とまで思いましたが思いっきり泣いたり、コメントよみ&レスして少し落ち着いてきたかもです。 (2012年03月19日 15時38分59秒)
とーーーっても生意気なことを書くようですが書いちゃいます 汗。
なんかコメントが「柔らかく」なったように感じました。 今回のコメントは寄り添ってくださっているように私は感じました。ありがとうございます。 (2012年03月19日 15時42分56秒)
いまカウンターの数字下三桁が838
「3と8 「進み続けなさい」とマスターが言っています。 あなたのエネルギーと思考やフィーリングに対する集中力を高めてください。 あなたのものの見方を神やすべての人々、 すべての命と一つであるという見方に調整し直してください。 」 (2012年03月19日 15時45分21秒) |