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カテゴリ:医療・介護
コアな話なので、異論のある方も多いかと存じます。
不快に感じられる部分がありましたら、申し訳ありません。そこでスルーしていただければ幸いです。 私の母が亡くなる時の話です。 危篤状態なのでと呼ばれて電車で2時間以上かかる遠方の病院に行くとしゃっくりが止まらず舌を噛まないようにとガーゼで巻かれた割り箸を口に入れられている母親の姿が。 点滴や酸素チューブもあって見た目には痛々しいのですが、子供の立場では、ひたすら母に生きていて欲しくて耳元で 「お母さん頑張って‼お願いだから。」と、泣きながら懇願し続けました。 するとECGモニター復活。 医師は「もう大丈夫ですから、お帰りください。」 (これは医師への批判ではなくて当然の話。むしろ感謝しています。) これを何回も繰り返し、本当の最期は家族の到着を待たずに先に旅立たれてしまいました。果たして私のした事は母にとって本当に良かった事なのか未だに疑問が残ります。 親に子供の勝手な願望だけを押し付けて、ただただ苦しみを強いてしまっただけなのではないでしょうか? 答えを誰も教えてはくれませんし、知っているのは当人だけだと思います。最終段階の意思表示の確認。これは本当に難しいですね。 どんなに日常を知っている家族でも、土壇場で苦しむ本人のその時の本当の気持ちは解らない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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すっごくわかります。
でも、医師から延命装置どうします?と言われたら、つけて欲しい、少しでも長生きしてほしいと思うのは当たり前です。(母の時) 胃ろうを付けないと点滴だけでは数カ月と言われればつけて、寝たきりでも長く生きて欲しいと思います(弟の時)。時々、ただ延命しただけで、本人はどうだったろう?と思いますが、例え寝たきりでも、家族には生きていて欲しいと思うのは正しいと思います。 (2018年09月10日 08時41分02秒)
Lovebritainさんへ
DNRをどうするべきなのか。答えを迫られるような現状ではないので、なるべく考えないようにしているのですが、苦痛や恐怖感から解放してあげて、静かに見送る事も愛情の形の一つなのかなと最近思い始めています。 (2018年09月12日 00時08分53秒) |