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詩集の中の栞のように~裏ブログ~

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2009/02/12
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カテゴリ:集団指導

いよいよ3月から新年度が始まる。

新入生が入ってくるので、ここでのルール作りが大変重要である。

授業中の私語厳禁、解説途中での質問禁止、演習中の質問禁止(←これをやる塾は多いが、集団塾で若い先生が教室をコントロールできなくなる要因の1つがコレ)、解説中は先生の目を見る

などである。

こうして教室をコントロールし、ここは学校や今まで通っていた塾とは異なるという意識を生徒たちにうえつける。

 

 

このように、私が授業において最も重要視しているのが「コントロール」

 

これは単に教室が静かであれば良いというわけではなく、授業が私の指示通り円滑に進んでいくことが非常に大切である。

時に脱線したり、あるいはアクシデントが起こったりするが、それを含め全て私の手の中で授業が進行していく。

それが大切だ。

 

中でも「間」は、重要なツールである。

私は解説の途中で、何も話さなくなる瞬間がある。

クラスの中にいるたった1人の生徒が下を向いた瞬間である。

そんな時、私は意図的に黙り込む。

 

普段から「先生の目を見て話を聞くこと」「解説中は、黒板の方を向く」「解説の時は鉛筆を置く」というような「一般的な」指導はもちろんしている。

これらはとても大切なことだ。

しかし、それでも生徒が下を向く瞬間というのはある。あるいは、目をそらす瞬間もある。

その時に「はい。こっちを見て」とその子に注意することは簡単だ。

 

ただ、その場合、現時点で集中している子まで、「その子」のために集中が途切れるケースがある。

また、その当事者の生徒にとっても、「注意された」という意識が残り、それにより授業理解への障害が生じる。

 

そして、この「はい、こっち見て」型注意の最もいけないところは、

解説と解説の間に「解説とは関係のない余計なセンテンス」が混線することである。

 

 

 

だから、私は意図的に「間」を作る。

 

まだ付き合う前の男女であれば、耐えられないような沈黙。

恋人同士であれば、何も言わなくても意思が通じ合っているような微妙な時間。

 

あの「間」を授業内で意図的に作る。

 

解説していた先生の声が急に途切れ、教室に沈黙が流れる。

解説から目をそらしていた生徒はもちろん、ちゃんと話を聞いていた生徒も

一瞬何が起こったのかと、改めてこちらの顔を伺う。

教室に緊張が走る。

 

しかし私は、一瞬の間を置いて、何事もなかったかのように解説の続きを行う。

 

1つのセンテンスと、その次のセンテンスに何やら長い合間があり、

ただ、それは決して大きな途切れ方であったり、生徒の理解を削ぐような切れ方ではなく、

何やらいろいろな行間が含まれているような、そんな「間」。

 

授業は、その後も続き、解説後生徒は静かに演習にはいる。

 

この「止めと間」を授業内に割り込ませる。

私がとても大切にしている技術の1つである






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Last updated  2009/02/13 02:03:03 AM
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