生きてます。生きれてます。~東日本大震災~
うちのお店遠景仙台の良い所は?って聞かれた時、私はたいていこう答えるようにしてます。「そこそこ大都会なんだけど、車でほんの2,30分走ればすぐに海や山に行ける、自然に恵まれた街なところかな」私のアパートはその仙台の隣町にあって。自転車で20分も走れば閖上(ゆりあげ)という漁港に出れる場所で。・・・自転車で5分走った先が波に飲まれた、そんな場所でして。自然に恵まれているという事は「自然の猛威も受けるのだ」、そんな事を思い知った気がします。ある程度の年齢の仙台近郊の市民なら「宮城県沖地震」を体験している世代なので、地震に慣れっこですし、「確立95%で大地震が来る」という予想からそれ以外の世代も防災意識が高くて、地震が来たらこう行動するんだ、という心構えが出来ていました。毎年行われる避難訓練。その他にも毎週地元FMラジオで防災の番組が放送されていますし、「サバイバル飯(サバ飯)コンテスト」なんてのも毎年開催されるほどです。なので、ちょっとした地震なら「たいした事無い」と心の余裕みたいなモノがありました。慢心では無く、子供のころからの訓練に裏づけされた自信みたいなモノでしょうか。実際、3月9日にも最大震度6なんて地震が有り、最大50cmの津波も観測されましたが、落ち着いて避難行動を行ったり、すぐに日常生活に復帰したりといった感じでした。(他県から来たヘルパーさんは大慌てでしたがw)おそらくですが11日の地震のときもパニックを起さず、高台や避難所へ避難するといった行動をした方々のほうが多かったはずです。想定宮城県沖地震の津波予想は、最大波高10m、内陸へ300m侵食。内陸部最大4.7kmに達した想定外の津波は、訓練どおり避難所へ逃げた方々すら飲み込んでしまいました。私は職場の3Fでいつものように家電の接客でおじいちゃんと話をしてて、売り場のTVで緊急地震速報が流れたと同時にゆれ始めた時も、「ああ、ここだとTVが倒れるかもしれませんから、通路行きましょうか」なんて、かなり余裕でおじいちゃんを誘導してたりしてました。感覚的には「震度4か、いっても5位かねぇ~」とか考えながら辺りを見回して、46型の液晶TVを支えてる同僚wに離れろと手で合図しつつ、什器にしがみ付いて動けなくなってた女性の所へ行って、「もうちょっと広い場所に移動しましょうか」と誘導し始めた途端、立ってられないほどの揺れが来ました。なんつー2段構えの攻撃。とりあえず女性をかばいつつ、頭上や周りからモノが飛んでこないか見てたんですけどね、什器が通路へ猛スピードで飛び出していくわ、天井のパネルが次々と落ちていくわ、壁は崩れるわ、売り物のTVが次々ジャンクになっていくわで、さながら地獄絵図になってます(--;幸い、私と女性の居た場所はモノが飛んでこなかったので良かったですけど、最初に女性が居た什器の辺りは天井に埋め込まれたエアコンのユニットが落ちてて、配線を軸にしてブラブラ揺れてました。あっぶねぇ・・・・。その後、売り場を見回してお客さんに怪我などないかチェックしたんですが、本当に、本当に奇跡的に一人の怪我人も無く外の駐車場へ全員誘導しました。駐車場に出ると100~150人ほど避難されていましたが、困ったのがラジオなどが無くて情報がまったく入ってこない事。断片的に入ってくる情報は「大津波警報が出ている」事ぐらいで、どれくらいの被害が出ていて、到着時刻はいつでどこに避難すれば良いのかまったく判らない状態でした。ただ、店上層部は津波がここまで来ないだろうと判断したのでしょう。主にはぐれたお客様の捜索対応や怪我人の有無を駐車場で行うよう指示してました。で、とりあえず店内で使えるものを取り出そうと数人で売り場に戻って、ラジオやら毛布やらを取り出したりして、結構落ち着いた対応をしていたんですがね、避難してから20分ほどで「かなりデカイ津波が来る」という情報が来て、店舗屋上の駐車場へ残ったお客様と従業員を避難させました。で、屋上から吹雪の中、海の方を見ていたんですけどね、うちの店の目の前に川幅3mほどの川が有るんです。そこをひっくり返った車が流されて行くのが見えました。どんどん水かさが増してゆく川。もし後1m水かさが増せば店の駐車場へ溢れてくるような状況でした。ちょっと遠くを見れば、まだ水を張るはずが無い田んぼが水田と化していて、こんな場所まで津波が来てるという事実に、今回の地震が大事だということを改めて思い知らされました。私の住むアパートはたいした被害も無く、ライフラインの復旧こそ1週間ほどかかりましたが、なんとか日常生活を取り戻しつつあります。うちの店も1Fの食品フロアはなんとか開店にこぎつけました。(3Fはまったく復旧のめどがたちませんが)それでも・・・・この記事を書いている今も続く余震と、いまだに避難所生活を強いられている方々のニュースが、この震災はまだまだ終息していないことを実感として感じることが出来ます。石巻に居て被災した友人に手を差し伸べる事が出来ない自分を心底不甲斐なく思っています。それでも・・・・自分の出来る事を少しづつ積み重ねていくしかないんですね。まずはうちの店に来てくれる、この震災を生き延びた戦友に最高の笑顔を。