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8月1日発売の「正論」9月号で、精神科医の和田秀樹氏が事件のまとめをしている。
基本的には秩序が大事で、小さいことにも裁量の余地なく公平に罰すれば、全体の気持ちが安定すると。 評論家としては正しいのだが、この人は精神科医として正しいのか? 週刊新潮6/24号(6/17発売)に載っていたことによれば、“同級生にカッターを振り回したのではなく、いたずらされたときに、刃を出してないカッターを向けただけだ”と。 向けられた男の子は、それほどのことじゃないから教師などに言わなかったのだと。 (その新潮以前から思っていたのだが、カッターを本気で振り回したのなら問題視されないはずはないので、周囲の生徒の許容範囲だったのかなと思ったりしていた。) この和田氏はそんなことも思わずに、メジャーな週刊誌も読まずに、カッターを振り回したときに対処すればよかったとメールマガジンで書いていたのを見たときに、プロ(?一応)の評論家としての職業意識の低さに呆れたのだが。 一月経って今回、ひょっとしたら新潮の記事が間違っていたのだろうかと思ってしまうのだが、8/2の新聞による長崎教育委員会の発表(後述)では問題行動がなかったという。 以下、和田氏のは事実と違うという前提で書く。 ------------- 文全体としてこの人の提言は正しい。生徒全体の秩序・安全から心の落ち着きが始まるという。 (正しいというか、僕や楽天などと同じだから。ただ、後から書かれて主眼を限定している分だけ、和田氏の方がよくまとまっている。) しかし、専門家であるはずの精神科医としては、現場を決め付けて何も知ろうとしない。 ----------- わざと知らぬふりをしているとしても、説明がつく。 1 この人は精神科医としての肩書きでものを読ませているので、精神科医としては予測方法がありませんなどとしたら、ものを書けない気分がするとかね。 (ただの見栄だな) 2 群れの秩序が大事だという主張と、個人の心をケアしようという主張とは、ウヨク(前者)-サヨク(後者)の対立が絡んでいるらしい。 命の教育云々で済ませようというのは、サヨクに近いらしい。 この人は、秩序から心を直していこうという立場で、サヨクが邪魔をするという認識を持っている。 だから嘘をついても、ナイフを突き立てようとして振り回したことにしたいのだ、と。 ------などという説明。 そういう無意識もありそうとか。 “結果的にでもそういう効果があるなら、僕もつっこまずに黙っていた方がいいのか”と、ちらっとだけ思わないでもない。 しかし探求心のない事実と違う評論を書いても、そのように実施されるはずはない。 そして8/2、8/3の新聞による長崎教育委員会の発表では、まじめな生徒に見えていた以外は、後から思えば目の色が変わったように見えた、だけだそうだ。 学校側の「心の教育」への対応の遅れなども指摘したというし、教育関係者の責任逃れの発表だと取るとしても、決め付け評論ではそれに対抗できない。 関連テーマ「佐世保小6HP殺人」総目次 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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