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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2014.02.09
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あさって二月十一日は、日本の建国の日です。全国各地で奉祝の集いがなされますが、愛知三河近隣では岡崎・豊橋・豊田・豊川・日進でそれぞれ開催されます。

其のうち講演会は

豊川・豊田はノンフィクション作家、教育問題や中国問題で著名の河添恵子先生です。演題は「転換期にある中国~その脅威と日本のこれから」

尖閣や日本国内の土地購入、さらに歴史を捏造し、様々に対日攻勢をかけ、覇権主義的進出をもくろむ現代チャイナの現実につき語っていただきます。

岡崎は京都産業大学名誉教授・モラロジー研究所教授) 所功先生のご講演。「ヤマト・日本の成立と大王・天皇の功績」

と題してのご講演です。

豊川会場(午前9時半開場)

10時より12時

■場所 三河一宮砥鹿神社

豊川市一宮町西垣内2

 0533-93-2001

豊田会場(午後5時開場) 

5時半より7時半

■場所 豊田市福祉センター

      豊田市錦町1丁目1番地1  電 話 34-1131 

FAX 32-6011 

両会場講演 ノンフィクション作家 

河添 恵子 女史

岡崎会場(午前9時開場) 

9時半より12時

■場所 岡崎市せきれいホール

     岡崎市朝日町

 講演 京都産業大学名誉教授 

所  功 教授

  TV「たかじんのそこまで言って委員会」などご出演

日進会場(午後1時半開場)

2時より正式参拝

■場所  日進市白山宮

     日進市本郷町宮下519

なお、豊橋では豊橋公園 神武天皇像前 九時より十時まで記念式典が豊橋市長国会議員市議県議など多数ご参列のもと、実行委員会主催にて開催されます。

以上の会場にご参加くださいましたら全会場とも些細ながら奉祝記念のペンを用意させていただきました。お受け取り下されば幸いです。講演会場では書籍販売や、国旗の販売も行います。是非お求めください。

 

なお、今年平成二十五年は陛下の御即位四半世紀、さらに陛下におかれましては傘寿(80歳)のめでたき年。

豊橋では実行委員会の皆様により神武天皇ご銅像のある豊橋公園内に記念植樹も予定されているそうです。私もご即位記念・御即位十年・二十年も植樹にかかわらせていただきました。こう見直すと、個人的にも長く建国に携わってきたなあと月日の積み重ねが出来たこと、改めてうれしく、思います。

 

「建国記念の日」は「建国をしのび、国を愛する心を養う日」とされ、わが国が国家として成立する際に尽力された先人に対する感謝の気持ちと、こうした努力により建国された祖国への愛国心を育むための日とされています。

初代の神武天皇が葦原中津国(日本)を平定され、橿原宮で即位された辛酉(かのととり)年春正月一日の日を、現行の太陽暦にあわせて算定して、今日の二月十一日を建国記念の日といたしました。

 私共は素直な気持ちで国の成り立ちを偲び、脈々と流れるわが国の文化伝統を受け継ぎ、国の基を振り返るこの日を大切にしたきものです。

 

 日本浪漫派の保田與重郎先生が、神武建国につきこのようにお書きになってみえます

 

『神武天皇』 保田與重郎

 

神武天皇の建国

 神武天皇が橿原宮で即位されたのは紀元元年二月十一日で、この日を建国記念の日として、国民の祝日とされてゐるのです。(中略)

 神武天皇の建てられたわが日本国が、天皇のご子孫の一系の天子を仰いで、二千六百四十一年(注・本年は二千六百六十三年)の歴史をつづけてゐるといふことは、世界の歴史の不思議と申すほかはないものでありますが、実にこれが日本の信実の姿です。

 自然の恩恵とともに、そのきびしい試練をうけ、一つの民族として一億を超える人口が共通した一つの国語で語り合ひ、数千年の先祖の無数の文物を、風景明眉の国土のいたるところに保存してきたことは、まことに比類のない世界史の驚異であります。そしてこの淵源は、実に神武天皇の建国にあります。(中略)

 国家に一大事といふ時、国の存亡の危機を国民が意識した時、建国の日の苦しみを回想することは、東西古今に見るところです。危機再建の日に、建国の大事業を回想するといふことは、興隆の原動力です。(中略)

 

 人麻呂は壬申の乱(約千三百年前)といはれる、わが国未曾有の危機の日に、神武天皇建国の史実を歌ひあげることによつて、自他の心に、永遠の信実を強調しました。万葉集を作られた大伴家持は、一族の若者を教へる時は、神武天皇の橿原宮の回想からせよと言ひました。

 

 江戸幕府の末期、国際情勢からも日本国を強固にせねばならぬと考へた時、学者や有識人は神武天皇建国のご事蹟を思ひ出して、復古の思想をとなへたのです。そのころでは民衆までも西洋諸国のアジア侵略の実態を知り、生活の経済の困窮などから、漠然と世の中の建て直しの時代がきたと感じました。かうして時勢に不安を感じた民衆は、全国から伊勢の皇大神宮へ大挙して参拝したのです。いはゆるお蔭まゐりで、これは類のない歴史上の大事件でしたが、このお蔭まゐりと同じやうに畝傍山の神武天皇の御陵へ群衆が押しかけました。この民間信仰には熱狂的なものもあつて、その証拠の石碑石灯籠などが残つてゐます。この神武天皇信仰は維新後もつづき、橿原神宮の創建は、この民間信仰から、民間で私社を作らうとしました。私社はまづいと考へた人びとが、代はりに官幣大社橿原神宮を建てる運動をしたのです。かうして今の神宮が建つたのです。

 

 天保八年(一八三七年)に大坂の陽明学者の大塩平八郎は、諸民の困窮に心をいため、世直しを実行しようと、兵をあげました。この時大塩平八郎が、近畿地方にまいた檄文の中に、今困つてゐる人びとのくらしを、天照大神の時代までもどすといふのはおそれ多く、できないことだが、せめて神武天皇の大御代のごとくに今の世の人びとを安堵させたいのが自分の願ひだと書いてゐます。これは当時の国民が、すでに、世直しといふことと、神武天皇の大御代といふこととに、あひ通ふ理想を感じてゐた証拠であります。大塩平八郎の世直しといふことは、江戸幕府を滅ぼして、朝廷のまつりごとをうちたてることだつたのです。

        『神武天皇』保田與重郎より

 

 

 国民の祝日には、国旗を掲げてお祝いいたしましょう。

建国記念の日には、豊橋蒲郡幸田岡崎豊田安城日進名古屋の各市町村13商店街にて国旗掲揚通りが作られます。田地区でも是非掲揚できる可能性があればお知らせください。

 






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Last updated  2014.02.09 09:30:02
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