カテゴリ:読書
1992年に発行されたこの本は、太平洋戦争開戦時に駐米大使を務め、ハル国務長官と日米交渉にあたった野村吉三郎(1877~1964年)について書かれています。
著者の豊田穣氏は1920年満州生まれの方で、元海軍軍人です。 「卑怯な騙し討ち」、米国では未だにこう呼ばれる真珠湾攻撃です。 開戦通告文を米国に提出するのが、攻撃開始から五十五分遅れたためです。 遅延の原因は、野村吉三郎をはじめ駐米日本大使館の怠慢との見方がありますが、この本では「野村個人の怠慢とはいいがたい」と断定され、日米戦争回避に向けて懸命な努力をされた姿を浮かび上がらせています。 この本を読もうとした目的は、「野村吉三郎とはどういう人物か」という多少の興味を満足するためです。 真珠湾攻撃が騙し討ちか否かは私の手に余るテーマですし、かりに騙し討ちではなかったと証明できたとしても、アメリカがそれを認めることはありえません。 以下に、【この本からの引用】と【征野の感想】を書きます。 【この本からの引用】 大正元年末に始まった桂太郎内閣打倒の民衆運動である。 強引な手段で西園寺公望内閣を倒した桂のやり方に憤激した民衆は、国会議事堂を取り巻き、桂内閣の総辞職を要求し、周辺の交番や政府側の新聞社に放火などを行なった。 【征野の感想】 民衆の暴動で思いつくのは、1905年の日比谷焼討ち事件、1912年(大正元年)のこの暴動、1918年の米騒動など。 暴動が起こる背景には、新聞や雑誌などのマスコミで政治的主張をすることが必要です。 ちょっと調べたところでは、1870年の『横浜毎日新聞』の発行を初めとして、20世紀の初めまでには相当数の新聞や雑誌が発行されていたことがわかりました。 【この本からの引用】 その2年後、追放が解除になると、再び祖国と国民のために働きたいという意欲を燃やし始めた(75歳)。 【征野の感想】 これは野村吉三郎の戦後のことです。 野村は元軍人として公職追放にかかっていましたが、昭和27年に追放が解除となりました。 その後28年には日本ビクターの社長に就任し、29年には参議院議員に当選したとのこと。 議員生活を経て、昭和39年に老衰のため、天寿をまっとうして86歳で逝去されたとのこと。 波乱ありの人生だったと見受けますが、いずれにせよ天寿をまっとうしたというのは良いことと言えましょう。 人生とは不思議なものだと、改めて思います。 この一言。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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アンレッドさん、おはようございます。
>なんと言おうと大罪でしょう。 >世の中結果が全てですから。 > >後世まで「卑怯者」のレッテルを受けなければならなくなったわけですし。 ----- 率直な意見です。 野村が生存していたならば、当時のことを聞いてみたいものです。 (2005/08/21 07:36:05 AM) |
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