テーマ:お勧めの本(7347)
カテゴリ:読書
この本は1994年に発行されました。
著者は1929年東京生まれで、幸田露伴の孫にあたり、更に言えば幸田文の娘にあたります。 この本を読もうとした理由は、幸田露伴をもっと知りたかったからです。 2005年12月31日の日記に書きましたように、幸田露伴は一緒にいると胃潰瘍になるのではないかというくらい(笑)、言うことが細かくてしつこいというイメージをもちました。 それでは、ちょっと確認してみよう思ったわけです。 実際にこの本を読んでみると、予想通りの困ったじいさんであったようです(笑)。 以下に、【この本からの引用】と【征野の感想】という形で、少々書いてみます。 【この本からの引用】 昭和13年(1938年)、母は離婚して私を連れ祖父の元へ帰った。 【征野の感想】 著者が母(幸田文)とともに、露伴の元へ帰った時のことです。 著者は、当時9歳であったとのこと。 引用部の直後に、露伴が74~5歳、玉が9~10歳の頃のことが書かれています。 著者(玉)が、母に言いつけられて露伴のもとに薬を持って行き、訳の分からぬうちに露伴に叱られる場面が書かれています。 長すぎるのですが、そのまま書くと次のとおり。 「何を申し訳ないと思っているんだ、お前は何も考えないで、ただふわふわしている、申し訳などどこにもありはしない。 薬というものは恐ろしいものだ、正しく使われれば命を救うが量をあやまてば苦しみを人に与える。 何の考えも無しに薬を良いものだとだけ信じて人にすすめるとはどういうことだ。 昔、耆婆は釈迦の命の危かった時に秘薬を鼠に投げて釈迦の元へ走らせた、なのにバカな猫がその鼠を食ってしまったから間に合わず釈迦は亡くなったというが、しかし薬は劇薬でそれを飲んだために命を縮めたという説もある。 そもそも釈迦が死ぬような目に遭ったのは、(以下略)」という具合に叱られたそうです。 要するに、母の言いつけられたとおりに露伴の元に薬を持って行ったところ、著者(玉)が愚かなために露伴を苦しみ死させようとしている悪者になっていたとのこと。 小学生であった玉はもちろん涙をこぼしていたわけですが、これはちょっと辛すぎますね。 【この本からの引用】 市川市菅野1209番地、白幡神社の裏の小川を渡ると雑木の生えた荒地があり、胡瓜や茄子とうもろこしが植えられた畑に沿って、小さな同じ形の家が2列に並んでいた。 【征野の感想】 露伴一家(露伴・文・玉)は、戦中に空襲が激しくなったために疎開しました。 その間に、小石川の家は空襲で焼けてしまったとのこと。 疎開中は長野から伊豆に移り、更に千葉県の市川に移り、この市川が露伴の終焉の地になったとのこと。 私は現在市川に住んでいるので、この菅野はよく知っています。 かつては小川のある荒地であったとこの本には書かれていますが、今は住宅街になっており当時の面影は全くないですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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