テーマ:本のある暮らし(3220)
カテゴリ:聖書に親しむ
1988年に発行された本ですが、「あとがき」を見ると、昭和41年2月20日という日付になっています。
即ち、『沈黙』は1966年頃に書かれた作品です。 当時の著者の年齢は43歳位でした。 なお、著者は1996年に永眠されましたが、遺言により、棺には『沈黙』と『深い河』が入れられたそうです。 『沈黙』のあらすじは、17世紀、切支丹弾圧下の長崎に潜入した宣教師が捕らえられ棄教するまでを、宣教師の心の動きを中心に書かれています。 三浦朱門の『我が友遠藤周作』によると、『沈黙』は昭和40年代はじめの大学紛争時に出版されたそうです。 イデオロギーを捨てるか捨てるにしても、自分の影響で同じ運動の入った仲間への裏切りの負い目をどう考えるべきかについて悩む全共闘世代に広く読まれたと言われています。 以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。 なお、本来の感想は、棄教にいたった宣教師の心の動きについて書くべきだと思いますが、あまりにも大きなテーマですのでこれには触れず、細部の気になった箇所の感想を書くにとどめます。 【この本からの引用】 ユダが主、基督を売った値段は銀30枚だった。 【上記の感想】 私が10~20代の頃に、遠藤周作氏の著書を読んでみようかと手にしたことがあります。 しかし難しそうだなと読むのを敬遠してしまったのは、こういう文が出てきたりしたからでしょうか。 「ユダが主、基督を売った値段は銀30枚だった」と突然書かれていても、聖書の知識がないと、読み流してしまいます。 【この本からの引用】 だが聖ザビエル師が教えられたデウスという言葉も日本人たちは勝手に大日とよぶ信仰に変えていたのだ。 陽を拝む日本人にはデウスと大日とはほとんど似た発音だった。 【上記の感想】 ザビエルが日本にキリスト教を伝えた時、デウスと大日が似た発音であったために、日本流のキリスト教になったという。 ここを理解するには、私にはもう少し日本のキリスト教の歴史の勉強が必要であろう。 なお、デウスとはポルトガル語でキリスト教の神のこと。 大日とは大日如来のことで、大日如来とは真言密教の本尊。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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