テーマ:本のある暮らし(3219)
カテゴリ:聖書に親しむ
聖書を通読中ですが、今回は『列王記 上』の感想文を書きます。
私の聖書通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。 今のところは順調ですが、まだ13巻目にすぎません。 なお、前回の『サムエル記 下』は旧約聖書の歴史書に分類されていますが、今回の『列王記 上』も、当然ながら、旧約聖書の歴史書に分類されています。 以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。 【この本からの引用】 王は命じた。 「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ。」 生きている子の母親は、その子を哀れに思うあまり、「王様、お願いです。この子を生かしたままこの人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と言った。 しかし、もう一人の女は、「この子をわたしのものにも、この人のものにもしないで、裂いて分けてください」と言った。(3章-25~26節) 【上記の感想】 ここは、ソロモン王の名裁きの場面で、日本でも「大岡裁き」に取り入れられているとか。 裁きの部分を引用すると、「この子を生かしたまま、さきの女に与えよ。この子を殺してはならない。その女がこの子の母である」とのこと。 つまり、最初に発言した女が本当の母であると、宣言されたわけです。 この話はよく知られているので、新たな感動を呼び起こすことはないかもしれません。 科学的なこと、客観的なことでなければ納得しないようになってしまったのが私達です。 本当の母親を確定するのに必要ならば、DNA鑑定をすればいいというのが、現在の私達の感覚であろうと思います。 ソロモンの知恵の顕現の一つと言われる上記の件ですが、そこには確かに「知恵」が見えます。 しかし、DNA鑑定の結果を盲目的に信じる私達は、残念ながら、「知恵」の部分は、3000年前よりも退化していると言わざるを得ないようです。 【この本からの引用】 王は彼らに厳しい回答を与えた。 王は長老たちの勧めを捨て、若者たちの勧めに従って言った。 「父がお前たちに重いくびきを負わせたのだから、わたしは更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、わたしはさそりで懲らしめる。」(12章13~14節) 【上記の感想】 上記の「王」とは、3代目の王・レハブアムのことです。 ダビデ→ソロモン→レハブアムというのが王の系譜ですが、ダビデやソロモンは知っていても、レハブアムは今まで全く知りませんでした。 どんな人物かというと、ソロモンの子にあたるのですが、一言で言ってしまうと3代目のボンボンです。 昔も今も3代目というのは、先代が作り上げたものをダメにするというパターンが多いようです。 こんな酷評をしてしまいますが、私の父が長男、私も長男というのが私の家の系譜ですが、子供を設けることなく私の人生も終わることはほぼ確実で、いよいよ家系断絶ということになりそうです。 最も、私の家は名家であるはずもないので、そういった意味では天皇家とは比較の対象になることもなく、かなり気楽です。 何時の間にか、永遠とは幻想であるとか、何も残らなくていいではないか、といった言葉に惹かれる自分を発見します。 その言葉に勇気付けられ、慰められの人生です。 何やら本題からずいぶんと離れた感想になりましたが、ここで筆をおきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/09/10 06:13:53 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|