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井上俊夫 「初めて人を殺す」 (岩波現代文庫)
「血みどろの銃剣は胸の奥底に」 井上俊夫 70歳を越えた女子大教授で詩人である男が授業で自らの戦争体験を語ります。その帰り道、彼は呑まずにいられません。しかし、飲んでも飲んでも酔えないのは何故なのでしょうか。 教授は浪速の反戦詩人と呼ばれた人らしいのですが、2008年に亡くなっています。僕はこの詩人を知らなかったのですが、この詩人の「初めて人を殺す―老日本兵の戦争論」(岩波現代文庫)という、この本が、なぜか読まないままで我が家の本棚に転がっていました。 おそらく書名の過激さを喜んだ衝動買いの結果だと思うのですが、徘徊の暇に任せて、市バスやJRの座席で一気に読み終えました。文字通り「一気に」読めました。 この本をお出かけカバンに入れたきっかけはハッキリしています。黒川創の「鴎外と漱石のあいだで」(河出書房新社)という本を読み終わったときに目の前の書棚にあったからです。 「鴎外と漱石の間で」という本には仙台の医学校で周樹人、後の作家魯迅が日本人に対して違和感を感じるシーンについての記述があります。 それは「藤野先生」という魯迅の小説の中で医学生たちが幻燈で日露戦争のニュース映画を見るシーンのことです。 ニュース映画の中で中国人のスパイが日本兵に殺される場面を日本人の同級生たちが拍手喝采するのを見ながら、主人公はとても強い違和感を感じ、日本で医者になる勉強を続けることを断念するというエピソードが小説にあります。 ここで魯迅は日本の医者の卵たちが「日本人が中国人を殺すシーンを喜ぶ」ことと、「人が殺されるシーンを喜ぶ」ことという、二つの問いを差しだしています。まあ、解釈が間違っているかもしれませんが、ぼくにはそう読める場面が小説の中にあります。 黒川の本を読みながら、そのことを考えた時に、日本人が戦場でどんなふうに人を殺してきたのかが気にかかりました。それが、読まなかったこの本に手を出した理由です。 バスの中で読み始めてみると、井上俊夫は 人は何故、喜んで人を殺す存在になれるのか。戦場で人を殺した人間は、どう生きていくか。という、思いがけない、実にとんでもない問いを突きつけてきました。 たとえば、上記の詩は、戦場から帰って50年以上たった大学教授が、戦争の本当の恐ろしさを現代の女子大生に語ろうとして、根源的な自己嫌悪に落ち込んでいる姿を描いています。 人が人を殺すことをなんとも思わないことがありうることで、それを自分の体験として平和の国の若い女性たちに語った結果、湧き上がってきた現在のおのれに対する疑いが見据えられている詩だと思います。 エッセイ集の中では、「初めて人を殺す」人になった、自分に対する怒りと悲しみが炸裂しています。ぼくの中で、井上俊夫が「藤野先生」で「施す手なし」と嘆いた魯迅の姿とオーヴァーラップしてゆきます。 ボンヤリ車窓の風景に目をやりながら「戦争は悪だ」、そう言いきった歌人がいたことを思い出しました。 中国に 兵なりし日の五ケ年を しみじみと思ふ 戦争は悪だ 宮柊二 この歌を詠んだ宮柊二も上の詩を書いた井上俊夫も、とっくにこの世の人ではありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.10 10:17:06
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