今さらながら、脱線事故に思う……
未曾有の大惨事になってしまった4月25日に起きた尼崎の脱線事故……。 犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。 その後、あとからあとからJR西日本の不祥事のニュースが出てきている。一部には、行き過ぎなんじゃないかと思えるような情報まで……。 <一つ目>当日、勤務に就く予定の運転手二人が同乗していたにもかかわらず、救出には手を貸さず、そのまま職場に向かってしまったことが非難されている。 これは、もし運転手が職場に向かったのはある面、仕方ないことではないのかなーと思う。彼らが職場に向かわなければ、今度は彼等が乗務に就くはずだった電車はどうなっていたんだろう? こういうときの対処の仕方って、どちらを優先させるべきか、ふつう社内でマニュアル化されていると思うのだが。 で、二人が職場に向かったということは乗務優先の内規でもあったのではないだろうか。 そのマニュアルが正しいか正しくないかは別として、いま噴出しているJR西日本のなんでもかんでもダイヤ優先という体質を考えると、乗務優先の方針を打ち出していても、なんら不思議はないところ。 で、このケースで責められるべきはこの二人の乗務員ではなく、JR西日本そのものではないのか。それをこんな反省文まで公開させられるなんて、ちょっと行き過ぎではないか……。 <二つ目>ボウリング大会やら飲み会やらをなぜ中止しなかったのかという報道が続々と湧いてきて、なんだかうざくなってきた。 そりゃ事故当日の真っ昼間にやらかしたイベントについては、「どーなのよ?」って思うけど、何もかも「JR西日本」の名のもとに一緒くたにして非難するのはどうなんだろう? 大きな会社の場合、支店や部課が違えば、ほとんど他社と同じってぐらい、動向がわからない場合だってあるんだし。 ましてこういう交通機関関係の勤務に携わる人は、ほとんど24時間に近い勤務体系のはずだから、同じ部署の人が一堂に会するには、休暇や時間をそうとうやりくりをしなければならなかったわけで……。 事故の重大さに気づかないまま強行されてしまったイベントもあるだろう。何もかも連帯責任を問うってのも何か違うんじゃないかなーと思う。 <三つ目>この事故の運転士をかわいそうだと思ってしまうのはいけないことだろうか。 彼に対して退職金の支払い(10数万らしい)をするというJR西日本に抗議の声があがっているようだ。 でも、事故が起きるに至ったJR西日本の体質を聞くにつけ、運転士も被害者だったのではないかと思ってしまうのだ。 反省文や行き過ぎた日勤教育はいったいなんのため? 運転士の家族だって悲しみのどん底に沈んでいるんだろうに……。 で、ひどすぎると思った<四つ目>JR西日本の運転士や車掌やらスタッフの人々に対し、暴力や罵詈雑言が浴びせられているそうだ。 もしかして、今回、被害に遭われた方の遺族の方であるならば、そういう行動に出たいほど悔しい気持ちは持っているとは思うけれど、そうではなく、一般の人がそういう暴挙に出ているらしい。 怒りの発散のしかたをはき違えてるとしか思えない。 その短絡的な発想と行動がまったく信じられない。