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となりのエフピー

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2010年01月20日
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本屋に行くと親鸞関係の本が並んでいたりしますね。
親鸞は、中年になって東国(関東)で布教活動をしました。

建保2年(1214年)(流罪を赦免より3年後)、東国での布教活動のため、家族や性信などの門弟と共に越後を出発し、信濃国の善光寺から上野国佐貫庄を経て、常陸国、茨城県に向かいました。

寺伝などの文献によると滞在した時期・期間に諸説ありますが、建保2年に「小島の草庵」(茨城県下妻市小島)を結び、建保4年(1216年)に「大山の草庵」(茨城県城里町)を結んだと伝えられています。

そして笠間郡稲田郷の領主である稲田頼重に招かれ、同所の吹雪谷という地に「稲田の草庵」を結び、この地を拠点に精力的な布教活動を行いました。また、親鸞の主著『教行信証』は、「稲田の草庵」において4年の歳月をかけ、元仁元年(1224年)に草稿本を撰述したと伝えられています。

親鸞は、東国における布教活動を、これらの草庵を拠点に約20年間行いました。

西念寺の寺伝では、妻の恵信尼は、京には同行せずに「稲田の草庵」に残ったとしています。文永9年(1272年)に、この地で没したとしています。

この関東布教時代の高弟は、後に「関東二十四輩」と呼ばれるようになります。その24人の高弟たちが、常陸や下野などで開山する。それらの寺院は、現在43ヶ寺あり「二十四輩寺院」と呼ばれ存続しています。

「稲田の草庵」は、現在西念寺(さいねんじ)として残っています。
茨城県笠間市稲田にある仏教寺院。浄土真宗別格本山。単立寺院。
浄土真宗立教開宗の聖地として、真宗門徒の崇敬を集めています。


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最終更新日  2010年01月21日 17時37分32秒
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